日本歴史地名大系 「弥彦村」の解説
弥彦村
やひこむら
弥彦山の東麓にあり、北東は
古くは弥彦神領に含まれていたらしい。江戸期の写とみられる正応三年(一二九〇)八月一五日の日付をもつ弥彦神社領并社人知行覚(高橋文書)では「神原郡弥彦邑神職之上条」として大宮司役高橋先生大夫の一万六千苅以下二九名の神官の知行分が列挙される。大永七年(一五二七)八月二日の弥彦神社領検地日記(同文書)には「ほつた 二百文 やひこ五郎さへもん」「くほた百苅 六百文 やひこ弥七」などの記載がある。天正二〇年(一五九二)と推定される辰六月の弥彦神領注文(弥彦神社叢書)には弥彦村の高二八一石三斗のうち一三六石は「社人衆拾弐人のかかえ分」とある。元和四年(一六一八)の長岡藩知行目録では高二九四石余、正保国絵図では高七九四石余で与板藩領に属する。一方弥彦神社は慶長二〇年(一六一五)松平忠輝より社領五〇〇石を寄進するという黒印状を受け、慶安元年(一六四八)には将軍家光の朱印状を受けたという。この神領はすべて当村にあったらしく、元禄郷帳以降村高は五〇〇石で、旧高旧領取調帳では弥彦神社領となっている。幕府からの達などは長岡藩を通じて写が弥彦へ伝えられたので、「長岡之触継」といわれた(安永八年「弥彦神領政道差上書」弥彦神社蔵)。
弥彦村
やひこむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報