( 1 )楊柳の枝に呪術的な意味があり、病を治し、歯痛を止める効果があるとされたために、楊枝が作られたと考えられる。仏教とともに伝えられ、貴族の毎日用いるところとなった。
( 2 )柳の他、杉、竹なども用いられたが、江戸時代には特に黒文字を皮を付けたまま楊枝としたものが貴ばれた。大きさも三寸から六寸以上のものもあり様々であったが、中世後期には③のように小さなものが作られ、②のふさ楊枝などの大きなものに対して、爪楊枝と呼ばれることとなった。
歯を掃除する用具。現在,一般に〈ようじ〉の名で呼ばれているのは〈つま(爪)ようじ〉くらいのものであるが,かつて歯ブラシのことをも〈ようじ〉と呼ぶことが多かったのは,以前,歯を掃除するのに広くようじが用いられたことを物語っている。ようじを用いて歯を掃除する習俗は早くインドに起こったもので,これをサンスクリットで〈憚哆家瑟詫〉と呼んだが,この語は直訳すると〈歯木〉という意味であった(《南海寄帰内法伝》)。古くカンボジアなどでもこれを用いたが(《隋書》真臘伝),中国にも早くこの習俗は伝えられ,主としてこれを楊柳(ようりゆう)で作ったので〈楊枝〉の語が生まれた。この楊枝は七病を除去する仏家七物の一つに数えられ,仏教僧徒は歯を掃除するのに〈毛ばけ〉を用いず,もっぱら楊枝を使ったという(《法苑珠林》)。日本へも仏教の伝来(538)とともに伝えられたらしく,《和名抄》にも〈楊枝〉の語は見えているが,とくにその和名を掲げていないところからすると,その字音に基づいて〈ようじ〉と呼んでいたのであろう。ようじは平安時代には広く上流貴族・僧職の間に用いられ,《壒囊鈔(あいのうしよう)》によるとその寸法は3寸(1寸は約3cm)を最小とし,1尺2寸を最大としたとあるが,形態・材料など,その詳細は伝えられていない。江戸時代になると広く庶民の間にも普及して,当時,豊前(ぶぜん)国立石村,河内(かわち)国玉串(たまぐし)村は〈楊枝木〉の名産地として知られ,京都では四条京極から祇園(ぎおん)にかけて,江戸では浅草の浅草寺境内などに,これを製造・販売する専門店もできたほどであった。なかでも京都下粟田口の猿(さる)屋のようじは世に名高く,50ないし100本ずつ桐筥(きりばこ)や紙袋に入れて各地に売り出されていた。当時のようじはおおむね4~6寸ほどの長さで,材料としてはヤナギ,ハコヤナギ,コブヤナギ,クロモジ,カンボク(肝木),モモ,スギ,タケなどが用いられたが,これらの木はかむと一種の香気があるので,邪気をはらう効力があると信じられていた。当時行われていたようじの種類には〈総(ふさ)ようじ〉〈平(ひら)ようじ〉〈殺(そぎ)ようじ〉〈穂ようじ〉〈紋ようじ〉〈小ようじ〉などがあり,〈総ようじ〉は先端を打ち砕いて〈ふさ〉のようにしたもので,もっぱら歯を磨くのに用いられたが,《嬉遊笑覧》によると江戸時代初期に行われた〈壺打(つぼうち)のようじ〉や〈打(うち)ようじ〉もこの〈総ようじ〉の類であったという。〈平ようじ〉はやや平らな形の少し反って作った長いようじで,茶菓子などに2本添えて,はしの代りに用い,〈殺ようじ〉はスギの割り木などで作った。〈穂ようじ〉は〈小ようじ〉よりも大きく,クロモジの皮を残して草の穂のように作ったものであり,また〈紋ようじ〉は若衆歌舞伎(わかしゆかぶき)の人気役者などの定紋(じようもん)を記したようじであった。〈小ようじ〉はクロモジなどで太針ほどの大きさに作ったもので,もっぱら歯の間にはさまったかす,あかを取り去るのに用い,現在,一般に,〈つまようじ〉といわれ,またその材料から〈くろもじ〉とも呼ばれている。これらのようじを入れる容器には,平安時代以来,キリの小箱が用いられ,これを〈ようじ箱〉といっている。また,ようじは懐紙の間にはさんで外出にも携えていったが,これには多く紙や布で作った小型の袋物の〈ようじ刺し〉が用いられた。ようじの使用には古くから種々の作法や俗信が伴ったが,高僧の用いたようじが成長して大木となったという伝説や,一度使ったようじを折らずに捨てることを忌む習俗などは古くインドに行われたもので,しかも今もなお日本の各地にこれが伝えられている。〈総ようじ〉は大正末期までは東京下町の女性に使用されていたが,歯ブラシの普及した今日ではまったく見られなくなった。
執筆者:宮本 馨太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
歯を掃除する用具。現在では歯間用の妻(つま)(爪)楊枝をさす場合がほとんどであるが、本来は歯ブラシのように使用する種類も含む。語源は、中国において楊柳(ようりゅう)でつくられたことからきている。この漢語が現物とともに日本に渡来し、そのまま「ようじ」と音読され普及したようである。このことは、平安時代中期の分類体辞典『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』にすでに楊枝の名称がみえるが、その和名は掲げられていないことからもわかる。10世紀なかばに藤原師輔(もろすけ)が記した『九条殿遺誡(くじょうどのいかい)』には、子孫に与える訓戒として、毎朝楊枝を使えといっているので、少なくとも貴族社会には普及していた。大きさについて室町時代中期の辞書『壒嚢鈔(あいのうしょう)』は、「三寸(約9センチメートル)ヲ最小トシ、一尺二寸(約36センチメートル)ヲ最大トス」と記し、現在の妻楊枝よりもかなり長いものであった。
江戸時代には庶民の間に普及し、歯みがき用に先端を打ち砕いた総(ふさ)楊枝や、妻楊枝の原型である小(こ)楊枝など、さまざまな種類がつくられた。材料はクロモジの木がおもに使われ、京都では粟田口(あわたぐち)、江戸では浅草が製造・販売所としてとくに名が高かった。現在では歯ブラシの普及で姿を消し、わずかに妻楊枝のみが使われている。
[森谷尅久・伊東宗裕]
字通「楊」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…クロモジの和名は樹皮上の黒斑を文字になぞらえたものという。材は芳香をもち,ようじ(楊枝)に賞用する。枝葉からはクロモジ油が得られ,かつて香料原料として採集されていた。…
※「楊枝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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