日本歴史地名大系 「玉造御茶屋跡」の解説 玉造御茶屋跡たまつくりおちややあと 島根県:八束郡玉湯町玉造村玉造御茶屋跡[現在地名]玉湯町玉造江戸時代出雲国内に九ヵ所あった松江藩の御茶屋のうちの一つ(雲陽大数録)。田中(たなか)川に面し、玉作湯(たまつくりゆ)神社の北西に位置する。建物は現存しないが、庭を含む敷地が残る。寛文二年(一六六二)の玉造村検地帳に御茶屋の敷地として「御茶屋床」とあり、面積は一反四畝二七歩であった。「雲陽誌」に「寛永年中堀尾忠晴再浴室を造給ふ」とあり、これを御茶屋の始まりとみる説がある(玉湯町史)。御茶屋はもっぱら松江藩主の湯治静養の場として利用された。寛政一二年―嘉永四年(一八〇〇―五一)の殿様御参詣並御代参記と明和三年―明治三年(一七六六―一八七〇)の上御入湯日記留(いずれも玉作湯神社文書)によると、短いときで六日、長いときは一月近く滞在していたことが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by