日本歴史地名大系 「玉造村」の解説
玉造村
たまつくりむら
霞ヶ浦沿岸にあり、北は
とあり、
江戸時代は水戸藩領で寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に村高二千三九石余とあり、ほかに新田八〇石余が記される。「常陸紅葉郡鑑」(楯石氏蔵)には、大御山守年寄兼大場惣介苗字帯刀御免、庄屋白井小衛門苗字御免、組頭一二人、御立山一九四町・御立藪一町余・分付山一三町、酒造高五三四石余、御制札場御札八枚、土橋三ヵ所、水門四ヵ所、悪水吐一ヵ所、古城跡一ヵ所、享保三年(一七一八)の人別一千八九二、当時村用金二千両などと記載される。
玉造村
たまづくりむら
- 千葉県:佐原市
- 玉造村
下総台地北端部に位置し、東は佐原村。南西部を成田道が通る。北の
玉造村
たまつくりむら
玉造村
たまづくりむら
山田川下流の東側にあり、北は
玉造村
たまつくりむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報