玉造森町
たまつくりもりまち
[現在地名]東区森ノ宮中央一丁目
単に森町ともいう。玉造国分町と吉右衛門肝煎地の東にあり、北と東を猫間川に限られ南北に延びる町。「天保町鑑」に「玉造北東森のミや前」とある。明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図に森町とみえる。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数二一・役数二一役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は惣左衛門。慶応元年(一八六五)には家持住宅人が一五戸で六八人(下人・下女を含む)、借屋人が一五戸で五五人(「人別改判形帳」大阪市立中央図書館蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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