玉造越中町二丁目
たまつくりえつちゆうまちにちようめ
[現在地名]東区森ノ宮中央一丁目・上町一丁目・玉造二丁目
単に越中町二丁目ともいう。北は玉造口定番与力同心屋敷、東は玉造西伊勢町・玉造
屋町、西は大手城代屋敷(家中屋敷)。南北に延びる両側町で、「天保町鑑」には「玉造いなり前筋一筋西ノ筋、のうにん橋より南へ入」とある。古くは葉山町といったが(大坂町之内町名替り候写)、明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図に越中町二丁目とみえる。なお、北接して越中町一丁目もあったが、承応三年(一六五四)玉造口定番与力同心屋敷拡張のため収公され、翌年木津川東岸下博労町(現西区)の東に移された(「与力歴譜」大阪市史編纂所蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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