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琴奨菊和弘 ことしょうぎく かずひろ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

琴奨菊和弘 ことしょうぎく-かずひろ

1984 平成時代の力士。
昭和59年1月30日生まれ。生家は建築業。明徳義塾中学3年で全国中学校相撲選手権大会優勝。佐渡ヶ嶽部屋に入門し,平成14年1月琴菊次の四股名で初土俵。16年1月琴奨菊に改名。同年7月新十両,17年1月新入幕。19年3月関脇にのぼり初三役。得意技は左四つ・寄り。23年9月12勝をあげ,大関に昇進。十両優勝1回,殊勲賞3回,技能賞4回。福岡県出身。明徳義塾高卒。本名は菊次一弘。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

知恵蔵2015の解説

琴奨菊和弘


佐渡ヶ嶽部屋所属の大相撲力士(大関)。本名菊次一弘。福岡県柳川市出身、1984年1月30日生まれ。179センチメートル、180キログラム
小学3年の時、祖父に「お前が相撲を選ぶなら、家の横に土俵をつくってやる」と言われ、祖父の作った土俵で相撲を始めた。後の琴奨菊のおはこである「がぶり寄り」は、この祖父から「基本の形を身につけろ」と教えられた。また、当時地元の巡業に訪れた貴花田(現貴乃花親方)のひざに乗って写真を撮っており、大きな思い出となっていると語っている。
朝青龍らを輩出した相撲の強豪校・明徳義塾中学、高校(高知県)に進学し、98年の全国中学校相撲選手権大会では優勝を飾った。
2002年1月場所、佐渡ヶ嶽部屋から「琴菊次一弘」(こときくつぎかずひろ)の四股名で初土俵。04年初場所に「琴奨菊一弘」と改名後、同7月場所で新十両、05年初場所で新入幕。負け越して再び十両に陥落したものの、3月場所で13勝2敗の成績を挙げて十両優勝し、5月場所で再入幕した。この時「琴奨菊和弘」と改名。以降、得意のがぶり寄りを生かして幕内に定着した。
06年11月場所には10勝5敗の成績で初の三賞(技能賞)を受賞、07年3月場所では西関脇に昇進し新三役。
11年には、5月場所10勝、7月場所11勝の後、9月場所で12勝を挙げ、技能賞(4回目)と殊勲賞(3回目)を受賞。大関昇進の条件とされる「直近3場所で合計33勝」をクリアし、場所後に行われた理事会で大関昇進が決まった。
大関昇進後は、膝の靱帯(じんたい)損傷や大胸筋断裂など度重なるけがに悩まされ、カド番(負け越せば大関陥落)の危機を5度経験した。また、14年5月場所では、2桁黒星となる10敗を記録するなど苦しんだ。
15年7月10日、2月に婚約を発表していた一般女性と結婚。この年の秋頃から、故障の回復と共に新しいトレーナーを迎えて稽古に励み、16年1月場所では14勝1敗で初優勝した。日本出身力士の優勝は、06年初場所の大関栃東以来10年ぶり。
取組前に体を反らす独特のポーズをとる。この意味について「自分にスイッチを入れ、迷いを消すため」と語っている。

(葛西奈津子 フリーランスライター/2016年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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