加山又造(読み)カヤママタゾウ

デジタル大辞泉 「加山又造」の意味・読み・例文・類語

かやま‐またぞう〔‐またザウ〕【加山又造】

[1927~2004]日本画家。京都の生まれ。東京美術学校卒。多摩美大・東京芸大教授。創画会創立会員。山本丘人師事装飾的な作風で知られる。文化勲章受章。作に「冬」「千羽鶴」「月光波濤」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「加山又造」の意味・わかりやすい解説

加山又造
かやままたぞう
(1927―2004)

日本画家。京都に生まれる。1949年(昭和24)東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業、山本丘人(きゅうじん)に師事。創造美術展、続いて新制作展に出品し、53年から3年連続して新作家賞を受賞、56年に新制作協会会員になる。58年にグッゲンハイム美術賞展で受賞。73年には日本芸術大賞を受けた。翌年、創画会創立に加わって会員になった。また1966年から多摩美術大学教授、88年からは東京芸術大学教授として後進を指導した。自然や動物を装飾化して心象をにじませる作風から出発し、現代的な女性美、光琳(こうりん)風の構成美など「現代の琳派(りんぱ)」と称され、新たな表現を求めて変貌(へんぼう)を重ねた。また、水墨画にも意欲を示し、1984年山梨県・身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)大本堂に天井画『墨龍』と水鳴楼の襖絵(ふすまえ)16面を、97年(平成9)には京都市・天龍寺法堂に天井画『雲龍』を完成させた。同年文化功労者、2003年文化勲章受章。東京芸術大学名誉教授。平成16年4月6日死去。

[原田 実・二階堂充]

『『加山又造――装飾の世界』(1979・京都書院)』『『加山又造素描集 裸婦20姿』(1979・座右宝刊行会)』『谷川徹三他監修『現代日本画全集第17巻 加山又造』(1980・集英社)』『『加山又造 裸婦』(1983・学習研究社)』『『加山又造全版画集1955―1984』(1984・平凡社)』『『身延山久遠寺大本堂建立記念加山又造天井画展』(1984・読売新聞社)』『『加山又造全集』全5巻(1989~90・学習研究社)』『岩崎吉一編『現代の日本画11 加山又造』(1991・学習研究社)』『『加山又造全版画 カタログ・レゾネ1991』(1991・講談社)』『『加山又造 日経ポケットギャラリー』(1992・日本経済新聞社)』『『白い画布――私の履歴書』(1992・日本経済新聞社)』『野地耕一郎編『現代日本素描全集8 加山又造』(1992・ぎょうせい)』『『加山又造の日本画 アート・テクニック・ナウ9』増補新版(1994・河出書房新社)』『『無限の空間』(1994・小学館)』『『加山又造屏風絵集成』(1994・小学館)』『加山又造・前本ゆふ著『ゆふ 画文集』(中公文庫)』『弦田平八郎編『アート・ギャラリー・ジャパン 20世紀日本の美術10 加山又造・横山操』(1986・集英社)』『岩崎吉一著『近代日本画の光芒』(1995・京都新聞社)』『平山郁夫著『対話 日本文化とこころ』(1996・実業之日本社)』

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20世紀日本人名事典 「加山又造」の解説

加山 又造
カヤマ マタゾウ

昭和・平成期の日本画家 東京芸術大学名誉教授。



生年
昭和2(1927)年9月24日

没年
平成16(2004)年4月6日

出生地
京都府京都市上京区相国寺東門前町

旧姓(旧名)
田辺

学歴〔年〕
京都市立美術工芸学校〔昭和19年〕卒,東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科〔昭和24年〕卒

主な受賞名〔年〕
新制作展新作家賞〔昭和26年・28〜30年〕,日本芸術大賞(第5回)〔昭和48年〕,芸術選奨文部大臣賞(第30回 昭54年度)「月光波涛」〔昭和55年〕,美術文化振興協会賞(第1回)〔昭和57年〕,神奈川文化賞(第43回)〔平成6年〕,文化功労者〔平成9年〕,井上靖文化賞(第6回)〔平成10年〕,文化勲章〔平成15年〕

経歴
祖父は狩野派絵師、父は西陣織図案家で、幼い頃から画材や図案下絵に囲まれて育つ。京都市立美術工芸学校の4年から飛び級で東京美術学校日本画科に進む。小林古径と山本丘人に師事し、昭和24年創作美術展初入選。26年新制作展新作家賞を受賞、28〜30年も連続入賞し、31年新制作協会会員となる。49年創画会結成に参加。最初は装飾画の制作に打ち込み、尾形光琳がよみがえったような絢爛華麗な秀作を生み“現代の琳派”と呼ばれた。50年前後には「黒い薔薇の裸婦」「白い薔薇の裸婦」などの洗練された官能的な裸婦で新境地を開き、ファンを驚かせた。その後、一転して水墨画に進むなど5年周期で画風が変わるといわれ、伝統画風に現代的な手法を取り入れて様々な創造の可能性を追求する現代日本画の旗手として活躍した。またジャンボ機や客船の内装デザインやBMW社のアート・カー(車のボディペインティング)といった工芸デザイン分野にも積極的に挑戦。59年身延山・久遠寺本堂の天井画を手がけ、平成10年には京都・天龍寺法堂に天井画「雲龍図」を完成させた。昭和41〜47年多摩美術大学教授、63年〜平成7年東京芸術大学教授を歴任。2年「加山又造全集」(全5巻 学習研究社)を刊行。15年文化勲章を受章。代表作に「馳る」「冬」「群れる」「火の鳥」「雪月花」「月光波涛」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加山又造」の意味・わかりやすい解説

加山又造
かやままたぞう

[生]1927.9.24. 京都
[没]2004.4.6. 東京
日本画家。父は西陣織の図案家。 1944年京都市立美術工芸学校日本画科を卒業。 1949年東京美術学校日本画科を卒業。山本丘人に師事。新制作協会展に出品し,1951,1954,1955年と新作家賞を受け,1956年会員となる。以来日本画独特の装飾性を現代的な感覚で生かした華麗な作品を次々に発表。 1973年第5回日本芸術大賞を受賞。 1974年創画会が結成されるとともにその会員となった。主要作品『冬』 (1957,東京国立近代美術館) ,『千羽鶴』 (1970) など。 1980年芸術選奨文部大臣賞受賞。 1997年文化功労者。 2003年文化勲章受章。

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百科事典マイペディア 「加山又造」の意味・わかりやすい解説

加山又造【かやままたぞう】

日本画家。京都市生れ。1949年東京美術学校卒業後,山本丘人に師事。馬,シカなどを主題に鋭角的,装飾的な画面を構成,人間不在の画面に孤独と憂愁を描出した。1956年新制作協会会員。1974年創画会結成に参加。身延山久遠寺の天井画などを手がけ,華麗で大胆な意匠化による作品を展開。2003年文化勲章を受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加山又造」の解説

加山又造 かやま-またぞう

1927-2004 昭和後期-平成時代の日本画家。
昭和2年9月24日生まれ。父は西陣織の衣裳染織図案家。山本丘人(きゅうじん)に師事。新制作協会展を中心に活躍し,琳派(りんぱ)の技法を現代にいかした作風が注目される。のち裸婦,水墨画にもとりくむ。昭和48年日本芸術大賞。49年創画会の結成に参加。55年芸術選奨。多摩美大教授をへて63年母校東京芸大の教授。平成9年文化功労者。10年京都天竜寺法堂の天井画「雲竜図」を完成。15年文化勲章。平成16年4月6日死去。76歳。京都出身。作品に「千羽鶴」「月光波濤」など。

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367日誕生日大事典 「加山又造」の解説

加山 又造 (かやま またぞう)

生年月日:1927年9月24日
昭和時代;平成時代の日本画家
2004年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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