日本大百科全書(ニッポニカ) 「琵琶湖湖底遺跡」の意味・わかりやすい解説
琵琶湖湖底遺跡
びわここていいせき
琵琶湖の湖底にある縄文・弥生(やよい)時代などの遺跡。湖の接岸水域、内湖の湖底には20か所余の遺跡が確認され、干拓化で陸化したものに湖東の安土(あづち)弁天島内湖(縄文前期)、大中の湖南(だいなかのこみなみ)遺跡(弥生中期)がある。後者では1965年(昭和40)水田址(し)、農耕具、稲束が発見された。大津市瀬田粟津(あわづ)には湖底貝塚がある。これらを含め接岸部湖底遺跡は地形変動による2メートル前後の水位の上昇に成因が求められる。これらに対して湖北葛籠尾(つづらお)崎東沖の遺跡は水深65メートル前後の陥没地形を示す湖底にある。湖の陥没は発見遺物の示す年代よりはるかに古い地質年代に属するから、遺跡の成因を陥没に求めることはできない。1959年音響探査、水中撮影、ドレッジなどによる総合調査により、遺跡のある谷底の状態はわかったが、これまで発見された縄文・弥生土器、土師器(はじき)など完形土器数十個が湖底の一定範囲内に、どうしてまとまって沈積したのか、十分解明されていない。
[小江慶雄]
『小江慶雄著『水中考古学研究』(1967・綜芸舎)』▽『小江慶雄著『琵琶湖水底の謎』(講談社現代新書)』