甕原離宮跡(読み)みかのはらりきゆうあと

日本歴史地名大系 「甕原離宮跡」の解説

甕原離宮跡
みかのはらりきゆうあと

木津きづ川に面する瓶原みかのはらの地には奈良時代初期に離宮が造営されていた。「続日本紀」和銅六年(七一三)六月二二日条に「行幸甕原離宮」とあり、元明天皇行幸している。その後も元明天皇が三回、聖武天皇が四回行幸した記事が「続日本紀」にみえる。「万葉集」巻四に笠金村の「二年乙丑春三月、幸三香原離宮之時、得女子作歌一首」がある。「二年」は神亀二年(七二五)

天平一二年(七四〇)には離宮があった縁で、ここに恭仁京が造営遷都された。同一三年閏三月九日条には「遣使運平城宮兵器於甕原宮」とあり、離宮に兵器を運ばせている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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