元明天皇(読み)ゲンメイテンノウ

デジタル大辞泉 「元明天皇」の意味・読み・例文・類語

げんめい‐てんのう〔‐テンワウ〕【元明天皇】

[661~721]第43代天皇在位707~715。天智天皇の第4皇女。名は阿閇あべ草壁皇子の妃。文武元正両天皇の母。文武天皇夭折ようせつ後に即位平城京遷都、古事記風土記編纂へんさん和同開珎わどうかいちん鋳造などを行った。

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精選版 日本国語大辞典 「元明天皇」の意味・読み・例文・類語

げんめい‐てんのう‥テンワウ【元明天皇】

  1. 第四三代の天皇。天智天皇の第四皇女。草壁皇子の妃。文武・元正天皇の母。名は阿閇(あべ)日本根子天津御代豊国成姫天皇(やまとねこあまつみしろとよくになりひめのすめらみこと)。慶雲四年(七〇七)即位し、平城京に遷都。「古事記」「風土記」を編修させ、鋳貨和同開をつくる。在位九年。げんみょうてんのう。斉明七~養老五年(六六一‐七二一

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朝日日本歴史人物事典 「元明天皇」の解説

元明天皇

没年:養老5.12.7(721.12.29)
生年:斉明7(661)
白鳳・奈良前期の女帝。在位は慶雲4(707)年7月から霊亀1(715)年9月。名前は阿閇(阿陪)皇女。天智天皇4女,母は蘇我倉山田石川麻呂の娘姪娘。同母姉に長屋王の母御名部皇女がいる。おそらく百済救援のため朝廷が移っていた九州で誕生,幼少時を近江ですごす。壬申の乱後天武4(675)年十市皇女と伊勢神宮に赴くが,数年後には天武の皇太子草壁と結婚,元正・文武両天皇と吉備内親王を生む。持統3(689)年夫草壁皇子が死去,異母姉で草壁の母持統天皇が即位するが,文武1(697)年15歳の文武に譲位。元明は天皇の母(皇太妃)として権力を持った。病弱な文武は慶雲4(707)年25歳で死去し,元明は幼少の孫首皇子(聖武)の即位を保障するため自ら即位,皇后を経ない初の女帝となる。その即位の言葉には皇位継承に関する「不改常典」の語が初めてみえる。即位直後授刀舎人を新設,当時の彼女の不安な気分は姉との贈答歌にうかがわれる。その在位中藤原不比等が政権を担当し,銅の献上を契機に和銅と改元(708),本格的な貨幣(和銅開珎)を鋳造し,和銅4(711)年には蓄銭叙位令により流通を計った。また藤原京に代わる都として平城京を造り3年に遷都。一方,陸奥征討計画など領域拡大も計られた。しかし大規模な労働徴発は浮浪逃亡を引き起こし,また律令行政の定着・修正も課題となった。そのため巡察使がおかれ,また6年には風土記の選進を命令。一方5年には太安万侶が『古事記』を完成する。霊亀1(715)年元正天皇に譲位。太上天皇として後見するが,養老5(721)年に死去。長屋王と藤原房前に遺言し薄葬を命じる。佐保に埋葬。

(西野悠紀子)

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改訂新版 世界大百科事典 「元明天皇」の意味・わかりやすい解説

元明天皇 (げんめいてんのう)
生没年:661-721(斉明7-養老5)

第43代に数えられる奈良前期の女帝。在位707-715年。天智天皇の第4皇女,母は蘇我倉山田石川麻呂の女姪娘(めいのいらつめ)。草壁皇子の妃,文武天皇,元正天皇,吉備内親王の母,持統天皇の異母妹。諱(いみな)は阿閇(阿陪)。和風諡号(しごう)を日本根子天津御代豊国成姫(やまとねこあまつみよとよくになりひめ)天皇という。706年(慶雲3)文武天皇が重病のため譲位しようとしたが,固辞して受けず,翌707年6月に没したことによって即位した。在位中の重要な事績に,和同開珎の鋳造,平城京への遷都,蓄銭叙位令の発布,《古事記》《風土記》の撰進などがある。715年(霊亀1)9月娘の氷高内親王(元正天皇)に譲位。721年12月に薄葬を遺詔して平城宮に没した。火葬して大倭国添上郡椎山陵(〈諸陵式〉は奈保山東陵)に葬った。没時に際して藤原房前(ふささき)を内臣に任じ,三関を固守,授刀寮・五衛府に鉦皷(しようこ)を設けるなど,厳戒体制をしいたのは,譲位後も太上天皇としてかなりの実権を有していたことを示している。《万葉集》に歌数首が伝わる。
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百科事典マイペディア 「元明天皇」の意味・わかりやすい解説

元明天皇【げんめいてんのう】

奈良時代前期の天皇。天智天皇の皇女。草壁皇子の妃となり,文武(もんむ)天皇元正(げんしょう)天皇を産む。707年即位。708年和同開珎(わどうかいちん)をつくり,710年平城京遷都。712年《古事記》,713年《風土記》を編纂(へんさん)。715年元正天皇に譲位。
→関連項目高安城

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「元明天皇」の意味・わかりやすい解説

元明天皇
げんめいてんのう
(661―721)

第43代天皇(在位707~715)。天智(てんじ)天皇第4皇女、母は右大臣蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだいしかわまろ)の女(むすめ)姪娘(めいのいらつめ)(宗我嬪(そがのひん))。諱(いみな)は阿閇(あえ)。いとこの草壁皇子(くさかべのみこ)に嫁し、軽(かる)皇子(文武(もんむ)天皇)、氷高(ひたか)皇女(元正(げんしょう)天皇)、吉備(きび)皇女を産む。689年(持統天皇3)草壁と死別。706年(慶雲3)文武天皇は病を理由に譲位の意を伝えたが固辞した。しかし翌年文武が崩じ、その子首(おびと)皇子(聖武(しょうむ)天皇)が幼少であったところから、皇位を嫡孫に間違いなく伝えるため、先帝の母たる阿閇が前例を破ってあえて即位した。その背後には首皇子の外祖父藤原不比等(ふひと)の強い勧めと支持があったと考えられる。この異例の即位を正当化する武器として初めて天智天皇に仮託した「不改常典(あらたむまじきつねののり)」なる論理が用いられた。在位中、和同開珎(わどうかいちん)の鋳造、平城遷都、『古事記』の選録、『風土記(ふどき)』の編纂(へんさん)などのことを命令実行したが、全般に不比等の影響が強かった。715年(霊亀1)元正天皇に譲位、721年(養老5)崩じ、奈良市奈保(なほ)山東陵に葬られた。

[黛 弘道]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「元明天皇」の意味・わかりやすい解説

元明天皇
げんめいてんのう

[生]斉明7(661)
[没]養老5(721).12.7. 奈良
第43代の天皇(在位 707~715)。奈良朝第1代の女帝。名は阿閇(あべ)。天智天皇の第4皇女。母は蘇我姪娘(そがのめいいらつめ)。天武天皇の皇太子草壁皇子の妃となり,氷高皇女(→元正天皇),軽皇子(→文武天皇)を産んだ。草壁皇子,文武天皇が夭折し,その皇子(のちの聖武天皇)が幼少であったため即位した。おもな事績は,和銅1(708)年の和同開珎の鋳造,同 3年の平城京遷都,同 5年の『古事記』,および翌年の風土記の編纂などである。霊亀1(715)年,位を氷高皇女に譲る。陵墓は奈良市奈良坂町の奈保山東陵。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「元明天皇」の解説

元明天皇 げんめいてんのう

661-721 飛鳥(あすか)-奈良時代,第43代天皇。在位707-715。
斉明天皇7年生まれ。天智(てんじ)天皇の第4皇女。母は宗我嬪(そがのひめ)(蘇我姪娘(そがの-めいのいらつめ))。子に文武(もんむ)天皇,元正天皇ら。文武天皇の遺詔により即位。和同開珎の銀銭・銅銭をつくり,都を藤原京から平城京にうつす。官吏の俸禄の支給規定をつくり,蓄銭叙位令をだした。「古事記」を完成させ,「風土記」をつくらせた。養老5年12月7日死去。61歳。墓所は奈保山東陵(なほやまのひがしのみささぎ)(奈良市)。別名は阿閉(陪)(あべの)皇女,日本根子天津御代豊国成姫天皇(やまとねこあまつみしろとよくになりひめのすめらみこと)。
【格言など】これやこの大和にしてはわが恋ふる紀路(きぢ)にありとふ名に負ふ背の山(「万葉集」)

元明天皇 げんみょうてんのう

げんめいてんのう

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「元明天皇」の解説

元明天皇
げんめいてんのう

661~721.12.7

在位707.7.17~715.9.2

奈良前期の女帝。阿閇(陪)(あべ)皇女・日本根子天津御代豊国成姫(やまとねこあまつみしろとよくになりひめ)天皇と称する。天智天皇の第4皇女。母は蘇我倉山田石川麻呂の女姪娘(めいのいらつめ)。草壁(くさかべ)皇子の妃となり,707年(慶雲4)子の文武天皇の譲位の意思をうけて即位。710年(和銅3)平城京に遷都したのをはじめ,藤原不比等(ふひと)らの補佐を得て律令政治を推進した。715年(霊亀元)女の氷高(ひだか)内親王(元正天皇)に譲位。その後も宮廷に重きをなした。

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旺文社日本史事典 三訂版 「元明天皇」の解説

元明天皇
げんめいてんのう

661〜721
奈良時代の女帝(在位707〜715)
天智天皇第4皇女。母は蘇我倉山田石川麻呂の娘。持統天皇の異母妹。草壁皇子の妃となり,文武・元正両天皇を生んだ。文武天皇の没後,聖武天皇即位までの中継ぎとして即位した。在位中,和同開珎の鋳造(708),平城京遷都(710),『古事記』『風土記』の編纂などを行った。

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世界大百科事典(旧版)内の元明天皇の言及

【称制】より

…ところで《日本書紀》によると,仲哀天皇没後,応神天皇のまだ即位しない間,神功皇后が政務を執ったのを摂政とするが,摂政は天皇の在位しているときに,皇族等が天皇に代わって政治を執るのをいうことからすると,神功皇后の統治形態は摂政よりも称制に当たる。また《続日本紀》によると,文武天皇の没後,元明天皇が践祚に先立つ2ヵ月間に万機を摂行したのも,称制といえよう。したがって称制の事例はすべて5例となるが,史料に称制と明記されているのは前の3例である。…

※「元明天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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