かさ‐の‐かなむら【笠金村】
- 万葉歌人。奈良初期、元正・聖武天皇(七一五‐七四九)頃の宮廷人という。長歌の技法にすぐれ、劇的な構成の挽歌(ばんか)や旅の歌などに形式的な美しさがみられる。金村歌集、金村歌中とあるものも、自作であろう。生没年未詳。
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笠金村 (かさのかなむら)
奈良前期の万葉歌人。生没年不詳。715年(霊亀1)作の志貴皇子(しきのみこ)挽歌(巻二)が格別に古く傑作であるが,主な活躍期は723年(養老7)から733年(天平5)までである。作品数は長歌11首,短歌32首,計43首である。金村作とあるもののほか〈金村歌集出〉〈金村歌中出〉との左注のある作品もあるが,すべて金村作と認められる。聖武朝初頭,天皇の行幸に従って,吉野,難波,紀州などにおもむき,賛歌などを歌うことが多く,先代の柿本人麻呂の流れをくむ宮廷歌人である。下級官人であったと思われるが,車持千年(くるまもちのちとせ),山部赤人らの作と並ぶ時,金村の歌は常に先頭の位置を占めているので,当代の第一人者として評価されていたらしい。作風は人麻呂を手本とし,その上で独自性を出そうとはしているが,概して類型的,平板なものに終わっている。〈神柄(かみから)か見が欲しからむみ吉野の滝の河内は見れど飽かぬかも〉(《万葉集》巻六)。
執筆者:橋本 達雄
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笠金村
生年:生没年不詳
奈良時代の歌人。微官であったらしく経歴も不明。『万葉集』によってのみ知られ,霊亀1~天平5(715~733)年までの作歌が明らかである。長歌11首,短歌34首(「笠朝臣金村歌集に出づ」などとして掲げられる作を含む)が残り,元正・聖武天皇の行幸に供奉したときの歌が半数を占める。同様に宮廷を中心として活躍した車持千年,山部赤人と並ぶ際には,その作が先に配されるところから,あるいは両者より重きをなしていたかともみられる。霊亀1年(2年説も)の施基(志貴)親王のための挽歌は,対話による劇的な構成をとり,異色ある風をのぞかせているが,行幸従駕歌は,おおむね平板で独創味に乏しい。ただし,その行幸従駕歌は,当時の宮廷人一般の享楽的な態度と嗜好を敏感に反映しており,総じて,『万葉集』において宮廷的な風雅をいちはやく体現した歌人として位置づけられよう。<参考文献>犬養孝,清原和義『万葉の歌人/笠金村』,梶川信行『万葉史の論/笠金村』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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笠金村
かさのかなむら
生没年不詳。奈良時代の歌人。元正(げんしょう)、聖武(しょうむ)両朝の下級官人で、行幸につき従って賛歌を詠み、志貴皇子挽歌(しきのみこばんか)をつくるなどした、いわゆる宮廷歌人的な人。『万葉集』に残る作品は715年(霊亀1)から733年(天平5)までの長歌9首、短歌26首の計35首。ほかに「笠朝臣金村之歌中出(かさのあそみかなむらのうたのなかにいづ)」と記す長歌2首、短歌8首もあるが、作者不明歌を含む。歌風は柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の影響を強く受けているが、迫力に乏しく、私的な相聞風の発想をよくするなどの点に時代の反映をみることができる。
[遠藤 宏]
草枕旅行く人も行き触ればにほひぬべくも咲ける萩(はぎ)かも
『山崎馨著「笠金村と車持千年」(『万葉集講座6』所収・1972・有精堂出版)』
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笠金村
かさのかなむら
奈良時代の歌人。『万葉集』には彼の名を明記した歌のほか,「笠朝臣金村歌集出」「笠朝臣金村之歌中出」と記されたものもあり,いずれも金村の作と認められている。これらによると,霊亀1 (715) 年から天平5 (733) 年にかけて作歌活動をしており,元正,聖武両朝に宮廷歌人のような立場で仕え,身分は低かったらしい。長歌 11首,短歌 34首を残す。行幸従駕の作が大部分で,形式,技巧は洗練されているが,独創性は乏しい。
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笠金村 かさの-かなむら
?-? 奈良時代の歌人。
山部赤人とならぶ宮廷歌人として元正天皇,聖武天皇につかえ,吉野,難波,播磨(はりま)への行幸にしたがった。「万葉集」に霊亀(れいき)元-天平(てんぴょう)5年(715-733)によんだ長歌11首,短歌32首をのこす。「笠朝臣金村歌集」が存在した。
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世界大百科事典(旧版)内の笠金村の言及
【志貴皇子】より
…また温雅にして繊細な歌や機知に富んだ歌もある。なお,皇子の死を悼む[笠金村](かさのかなむら)の長短歌から成る挽歌が巻二に収録されている。【橋本 達雄】。…
※「笠金村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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