日本歴史地名大系 「生保内村」の解説
生保内村
おぼないむら
天正一八年(一五九〇)の出羽国仙北之内北浦郡御検地目録帳(戸沢文書)に「あい内畠村」田高八〇一石三斗、屋敷・畑分を合わせて八三七石五斗とあり、あい内畠村は藩政期の当村の支郷「相内端村」をさすと思われる。
「梅津政景日記」慶長一七年(一六一二)九月二三日条に「院内御仮屋御用として、おぼなひへ差越候飛脚」とあり、正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に小保内村四〇六石とある。享保八年(一七二三)の仙北郡郡村本村支村御高調帳(秋田県庁蔵)には「生保内村、家数七拾九軒」とあり、本田当高四二三石四斗一升八合、新田と合わせて当高六〇三石一斗九升七合とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報