生夷庄(読み)いくいなのしよう

日本歴史地名大系 「生夷庄」の解説

生夷庄
いくいなのしよう

平安時代末期からみえる庄園で、勝浦郡域にあった。山城石清水いわしみず八幡宮領。庄域は現勝浦町生名いくな付近に比定する説と、勝浦山一帯を包括する地域とする説があるが、勝浦山は所領名としてみえるので、前者がより実態に近いものと思われる。保延三年(一一三七)四月日の検校光清・別当任清連署譲状(石清水文書)に「生夷」とあり、光清は相伝の所領を娘の美濃の局に譲り、うち当庄など六ヵ所は道恵親王(美濃局の子)の御願として建立された観音堂の寺用にあてるように定め、残りを道恵に進済するように定めている。仁安三年(一一六八)道恵は当庄などを定慧に譲与している(同年四月二五日六条天皇宣旨案)。元久二年(一二〇五)石清水別当法印権大僧都であった道清が他国の所領とともに修理別当宗清に譲っており(同年一二月日別当道清処分状)、寛喜二年(一二三〇)若宮長日油の四月分四升二合、五月分七升二合、六月分三升八合の計一斗五升二合を当庄が負担することが定められている(同年正月宗清置文)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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