生姜町
しようがちよう
[現在地名]盛岡市南大通一丁目・中ノ橋通一丁目
八幡町の西に続く一町半ほどの町人町(盛岡砂子)。西は遠曲輪の堀を隔てて肴町、南は餌差小路、北は神明社前通りに接する。元は八幡町の内で、宝暦二年(一七五二)の神明社の新規造立の際に新たに仕切門を建て神明町とし、同社南側の文化(一八〇四―一八)末年につくられた横町は井戸横町と称された(盛岡砂子)。「御家被仰出」文化九年九月二五日条には「神明町之儀、以来生姜町と唱可申事」とある。この改称は、内史略本「盛岡砂子」には「文化年中江都の神明祭にならひ、公より御内達有之に寄、生姜を商ふこととはなれり、是東都神明の生姜丁を傚ひ給へし事なりき」と記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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