生津庄(読み)なまづのしよう

日本歴史地名大系 「生津庄」の解説

生津庄
なまづのしよう

現穂積町生津一帯から北方きたがた柱本はしらもと北方にかけて散在したとみられる摂関家領庄園。建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)に近衛家が庄務権を掌握した家領として当庄の名がみえる。藤原師実(京極殿)より伝来の所領で預所は行頼であった。なお「今昔物語集」巻二七には関白殿所領の「生津の御庄」を藤原孝範が預り治めたとみえる。この「関白殿」は藤原兼家に比定されており、当庄は一一世紀前半には成立していたと推定される。正応三年(一二九〇)には当庄より三段の宝帳布が進められている(「宝帳布所進諸庄目録」近衛家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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