コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

土岐康行 ときやすゆき

4件 の用語解説(土岐康行の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

土岐康行
ときやすゆき

[生]?
[没]元中7=明徳1(1390).閏3.25.
南北朝時代末期の武将。美濃,伊勢の守護。頼雄の子。伯父頼康の養子となり,元中4=嘉慶1 (1387) 年頼康の死により,土岐惣領を継ぐ。守護職継承のことなどで弟満貞と対立し,美濃,尾張に内乱が起り,元中6=康応1 (89) 年室町幕府の討伐を受け,1年後に滅ぼされた (→土岐氏の乱 ) 。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

土岐康行 とき-やすゆき

?-1404 南北朝-室町時代の武将。
土岐頼雄(よりかつ)の子。土岐満貞(みつさだ)の兄。美濃(みの),尾張(おわり),伊勢(いせ)3国の守護,伯父土岐頼康(よりやす)の養子となり,家督をつぐ。足利義満(よしみつ)が土岐一族の分裂をはかり,満貞を尾張守護に任じたため,明徳元=元中7年挙兵したが敗北。翌年の明徳の乱で幕府側にくわわり伊勢守護に復した。応永11年10月6日死去。初名は義行。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

土岐康行

没年:応永11.10.6(1404.11.8)
生年:生年不詳
南北朝時代の武将。美濃国(岐阜県)・伊勢国(三重県)守護。左馬助,大膳大夫。初名は義行。土岐揖斐頼雄の子,頼康の養嗣子。嘉慶1/元中4(1387)年の頼康の没後,美濃・尾張・伊勢3カ国守護を継承したが,翌年弟の土岐島田満貞が尾張守護に補任されたことから,室町幕府に対し,いわゆる土岐康行の乱を起こす。明徳1/元中7年閏3月,最後の抵抗拠点,美濃池田郡小島城が陥落して没落するが,翌年の山名氏清が幕府に反した明徳の乱で戦功を挙げ,伊勢守護のみ還補。以後,伊勢守護は康行の系統が断続的に継承した。

(谷口研語)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

ときやすゆき【土岐康行】

?‐1404(応永11)
室町時代の武将。初名義行。土岐頼康の兄揖斐(いび)出羽守祐康(ひろやす)(頼雄(よりかつ))の子。1387年(元中4∥嘉慶1)頼康のあとを継ぎ美濃,尾張,伊勢3ヵ国の守護となった。しかし,翌年将軍足利義満による大守護の勢力削減策の挑発にのり,土岐満貞との間で尾張で黒田合戦をおこし,1390年(元中7∥明徳1)謀反人として征討された(土岐康行の乱,土岐氏の乱)。その後明徳の乱で戦功をあげ伊勢守護に復帰した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

土岐康行の関連キーワード心王今峰氏光兼国(1)兼角(初代)兼次(2)兼友兼光(2)東氏村東師氏土岐頼清

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone