日本歴史地名大系 「生田寺跡」の解説 生田寺跡おいだじあと 広島県:三原市三原城下三原西町生田寺跡[現在地名]三原市本町野畑(のはた)山の南東麓、西河原(にしかわら)谷にあった真言宗寺院。天正一〇年(一五八二)頃、小早川隆景による三原城整備に伴い、釜山(かまやま)村生田谷から移転。本宮山大楽院と号し、不動明王を本尊とした。世羅郡世羅町永寿(えいじゆう)寺蔵の大般若経奥書によると、永和五年(一三七九)沼田(ぬた)庄老田(おいだ)寺の澄覚が三原金剛(こんごう)寺のため大般若経を書写しているので、それ以前の創建である。元禄一〇年(一六九七)の生田寺由来書(「三原志稿」所収)に、什物の大般若経は康応元年(一三八九)から明徳元年(一三九〇)書写の奥書をもつと記す。小早川氏との結びつきが強く、文安五年(一四四八)一二月三日付の領家納入公用目安写(小早川家文書)に「六拾貫文 生田寺ヘ飛脚ニ持候」とあり、継目安堵御判礼銭以下支配状写(同文書)によると、文明一二年(一四八〇)一〇月、小早川敬平の上京に際し一貫文を拠出。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報