生駒屋敷跡(読み)いこまやしきあと

日本歴史地名大系 「生駒屋敷跡」の解説

生駒屋敷跡
いこまやしきあと

[現在地名]江南市小折

天保村絵図によると、小折こおり村の中央に「生駒主計様御在所屋敷」とみえる。生駒氏屋敷地図(生駒陸彦氏所蔵)によると、東西約一二七間・南北約一五一間。川と幅四間の堀に囲まれ五区画に分れていた。「府志」に「修復小折城、内建高楼外浚塹」とみえる。

生駒氏は家広の時、大和国生駒郷より当地に移り、豊政・家宗と続き、四代家長の時、信長に仕え、家長の妹は信長に嫁し、信忠・信雄および岡崎城主信康の室の二男一女をもうけた(士林泝

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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