小折村(読み)こおりむら

日本歴史地名大系 「小折村」の解説

小折村
こおりむら

[現在地名]江南市小折

寄木よりき村の南にある大村で、村の東境をおさな(五条川)西境青木あおき川が流れる。東を南北にやなぎ街道が通り、ここから一宮いちのみや草井くさい宮田みやだの各街道が分岐した。本郷横町よこまち東郡ひがしごおり八反田はつたんだ本町ほんまち田代たしろ八竜はちりゆう桜雲さくも油海道あぶらがいとの八組に分れ、支郷は荒門あらかとやま小郷おごう西布袋野にしほての・東布袋野があった(天保村絵図、丹羽郡誌)。「尾張志」に「柳橋ノ郷、只里民のいい伝へのみ」とあり、「神鳳鈔」に「尾張国楊橋御厨」とみえて柳橋やなぎはしは字名として残る。「尾張国地名考」によれば、昔は「桑折」と書き「和名抄」の丹羽郡大桑おおくわ郷は当村だという。

小折村
こおりむら

[現在地名]市原市小折

柳原やなぎはら村の東、養老ようろう川左岸をおもな村域とする。小折を郡の転訛とみて古代海上うなかみ郡の郡衙があったとする説がある。柳原村枝郷で、元禄郷帳では高二八石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高六一石余で家数一一、幕府領。天保一〇年(一八三九)より貝淵藩領(「林忠英領地調」林家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報