日本大百科全書(ニッポニカ) 「産出的自然」の意味・わかりやすい解説
産出的自然
さんしゅつてきしぜん
natura naturans ラテン語
一般的にいって、産出される自然、すなわち所産的自然natura naturataとよばれる世界を産出する原因としての神を意味する。能産的自然ともいう。この対概念は、アベロエス(イブン・ルシュド)のアリストテレス注釈のラテン語訳(12世紀末)を介して、盛期スコラ哲学者の用いるところとなった。両者はまた、エックハルト(1260ころ―1327)では神の三つの位格personaの関係を示すものとしても語られ、父なる神と、子・聖霊なる神を意味した。ルネサンス期のブルーノはまた、この両者によって、宇宙の形相formaの側面と質料materiaの側面を説明した。
近世ではスピノザが『エチカ』(1675)で、万物の内在的原因である唯一の実体substantiaとしての神を産出的自然とよび、実体から生じるあらゆる様態modusを所産的自然とよんでいる。スピノザ論争を介して、この概念は啓蒙(けいもう)期のドイツの哲学者(ヤコービら)に用いられ、その後シェリングは、経験的物理学の扱う客体としての自然と対比して、自然哲学の扱う主体としての自然を産出的自然とよんだ。またベルクソンは、「生の飛躍」によって所産的自然から産出的自然に回帰すべきことを説き、最近ではレービットKarl Löwith(1897―1973)が、人間中心的な世界観への批判として産出的自然に注目している。
[小田部胤久]