用草村(読み)もちくさむら

日本歴史地名大系 「用草村」の解説

用草村
もちくさむら

[現在地名]八街市用草・希望きぼうおか

勢田せた村の西に位置し、北は柳沢やなぎさわ牧。持草とも書き、「もちぐさ」ともよんだ。中世白井しらい庄のうち。貞治二年(一三六三)七月晦日、白井庄用草で秀尊が大般若経を書写している(「大般若経奥書」神宮寺蔵)。天正一九年(一五九一)二月二〇日の持草村検地(用草区有文書)では村名に白井庄と冠されているが、この検地は岩富いわとみ(現佐倉市)城主北条氏勝の領内検地であり、近世初頭には岩富領に含まれていた。慶長一九年(一六一四)の東金御成街道作帳に村名がみえ、高二二〇石、普請間数二〇間。「寛文朱印留」では佐倉藩領で、幕末まで同じ。正保三年(一六四六)の年貢割付状(用草区有文書)では高三五二石余、元禄郷帳では高三五七石余、その後享保一五年(一七三〇)・寛保二年(一七四二)新田が加わり高三六六石余となった(用草区有文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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