田中ふさ子(読み)タナカ フサコ

20世紀日本人名事典 「田中ふさ子」の解説

田中 ふさ子
タナカ フサコ

昭和期の教師 春近小学校教諭。



生年
大正5(1916)年8月1日

没年
昭和18(1943)年1月25日

出生地
長野県上伊那郡伊那町(現・伊那市)

学歴〔年〕
伊那高等女学校〔昭和8年〕卒

経歴
卒業後、教員の資格を取得。昭和10年に兄を頼って上京し、鶴見造船所付属病院で働くが、間もなく姉の紹介で長野県上伊那郡南向村小学校桑原分教場の教師となった。百田宗治・鈴木道太の綴方運動に共鳴し、その指導を受けて雑誌生活学校」などに投稿。14年春近小学校に転任したあとも綴方の指導・実践を続け、文集「春近の子ども」を編集・発行し、各地の綴方教師と文集の交換を行った。その生徒の綴方作品は、雑誌「教室」や「小一国語」などに掲載されており、高く評価されている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中ふさ子」の解説

田中ふさ子 たなか-ふさこ

1916-1943 昭和時代前期の教育者
大正5年8月1日生まれ。長野県上伊那郡南向(みなかた)小学校桑原分教場の教師となり,雑誌「生活学校」で百田宗治(ももた-そうじ),鈴木道太らの指導をうける。昭和14年春近小学校にうつり,生活綴方(つづりかた)の実践につとめた。昭和18年1月25日死去。28歳。長野県出身。伊那高女卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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