日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
文章を綴ること。歴史的には、子供たちが文章を綴ることを学んだ小学校国語科の領域の一つ。読方や書方、話方と並べて用いられ、1900年(明治33)から47年(昭和22)ころまで初等教育において使われた。第二次世界大戦後は作文あるいは「書くこと」に改められた。大正中期以降、子供たちの文章を綴る力はしだいに伸びていった。昭和初頭からは民間に生まれた生活綴方の教育が独自の成果をあげるに至った。
[野地潤家]
文章を綴ること。歴史的には、子供たちが文章を綴ることを学んだ小学校国語科の領域の一つ。読方や書方、話方と並べて用いられ、1900年(明治33)から47年(昭和22)ころまで初等教育において使われた。第二次世界大戦後は作文あるいは「書くこと」に改められた。大正中期以降、子供たちの文章を綴る力はしだいに伸びていった。昭和初頭からは民間に生まれた生活綴方の教育が独自の成果をあげるに至った。
[野地潤家]
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
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…また,同誌は作家に子どものための作品を書く場を提供したばかりでなく,子どもにも自由な表現を促す場を提供した。そして,子どもの応募作品に対して,毎号,三重吉が綴方を,北原白秋が児童自由詩を,山本鼎(かなえ)が自由画を選び,批評し,指導することにより児童文化の領域を広めるとともに全国の子どもの表現に影響を与えた。身のまわりの現実の生活をリアルに描き出す子どもの作品に目を開かされた三重吉は,綴方をたんなる文章表現の練習としてでなく,〈人そのものを作りとゝのへる,`人間教育’の一分課〉ととらえた。…
…行脚中倒れ,郷里の法楽寺に没す。国語科読方の指導過程の定型化の仕事で知られた人物だが,より大きい影響を後世に残したのは,〈綴方は自己を綴ることである〉としたその綴方(作文)論である。高師在職中,過重な勉学と同僚のねたみで神経衰弱になる。…
…この時期,〈読ミ方〉の方法や目標の研究が進められる一方で,〈綴リ方〉も,それまでの模範文章を模倣するというスタイルから一歩進み,自由に題を選ばせる方式が登場するようになった。のちに〈生活綴方〉として定式化される,自己の生活事象を題材に,そこに含まれる感動や疑問などを自由につづって,書くことにより生活認識や思想を深め,あわせて文章表現力をきたえるという日本独特の国語教育の方式も,この延長線上に生み出された。 戦後は,まずアメリカのコミュニケーション能力重視の国語教育論の影響があり,日常の言語生活を類型化して,電話のかけ方,討論のしかたなどを訓練するというようなやり方が広まった。…
※「綴方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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