綴方(読み)つづりかた

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

文章を綴ること。歴史的には、子供たちが文章を綴ることを学んだ小学校国語科の領域の一つ。読方や書方、話方と並べて用いられ、1900年(明治33)から47年(昭和22)ころまで初等教育において使われた。第二次世界大戦後は作文あるいは「書くこと」に改められた。大正中期以降、子供たちの文章を綴る力はしだいに伸びていった。昭和初頭からは民間に生まれた生活綴方の教育が独自の成果をあげるに至った。

[野地潤家]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙
① いくつかのものを縫ったり、とじたりするときの、その方法。
② 文字、特に単音文字(アルファベット)を組み合わせて単語を書き表わすときの、その文字の組み合わせと排列のしかた。
※理学協会雑誌‐明治一八年(1885)八月・本会雑誌を羅馬字にて発兌するの発議及び羅馬字用法意見〈田中館愛橘〉「文の綴り方迄も(の)(に)などの字を離して書くべしと定められしが」
③ 旧制小学校の国語に関する課業の一つ。かなづかいをはじめとして、書きことばとしての文章を作る方法、また、その作業。作文。
※小学読本(1884)〈若林虎三郎〉一「実物或は図画によりて観念を開発して後之を表出すべき文字を与へ且其の綴り方を理解せしめんことを要す」
[補注]③の学校制度上の名称では、明治三三年(一九〇〇)以前が「作文」、それ以後昭和二〇年(一九四五)まで「綴り方」、第二次世界大戦後また「作文」となった。

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世界大百科事典内の綴方の言及

【赤い鳥】より

…また,同誌は作家に子どものための作品を書く場を提供したばかりでなく,子どもにも自由な表現を促す場を提供した。そして,子どもの応募作品に対して,毎号,三重吉が綴方を,北原白秋が児童自由詩を,山本鼎(かなえ)が自由画を選び,批評し,指導することにより児童文化の領域を広めるとともに全国の子どもの表現に影響を与えた。身のまわりの現実の生活をリアルに描き出す子どもの作品に目を開かされた三重吉は,綴方をたんなる文章表現の練習としてでなく,〈人そのものを作りとゝのへる,`人間教育’の一分課〉ととらえた。…

【芦田恵之助】より

…行脚中倒れ,郷里の法楽寺に没す。国語科読方の指導過程の定型化の仕事で知られた人物だが,より大きい影響を後世に残したのは,〈綴方は自己を綴ることである〉としたその綴方(作文)論である。高師在職中,過重な勉学と同僚のねたみで神経衰弱になる。…

【国語教育】より

…この時期,〈読ミ方〉の方法や目標の研究が進められる一方で,〈綴リ方〉も,それまでの模範文章を模倣するというスタイルから一歩進み,自由に題を選ばせる方式が登場するようになった。のちに〈生活綴方〉として定式化される,自己の生活事象を題材に,そこに含まれる感動や疑問などを自由につづって,書くことにより生活認識や思想を深め,あわせて文章表現力をきたえるという日本独特の国語教育の方式も,この延長線上に生み出された。 戦後は,まずアメリカのコミュニケーション能力重視の国語教育論の影響があり,日常の言語生活を類型化して,電話のかけ方,討論のしかたなどを訓練するというようなやり方が広まった。…

※「綴方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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