デジタル大辞泉
「百田宗治」の意味・読み・例文・類語
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ももた‐そうじ【百田宗治】
- 詩人。大阪市出身。本名宗次。大正時代、民衆派詩人の一人として活躍。のち、モダニズムに移行。詩集に「最初の一人」「ぱいぷの中の家族」「ぬかるみの街道」など。明治二六~昭和三〇年(一八九三‐一九五五)
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百田 宗治
モモタ ソウジ
大正・昭和期の詩人,児童文学者
- 生年
- 明治26(1893)年1月25日
- 没年
- 昭和30(1955)年12月12日
- 出生地
- 大阪府大阪市西区
- 本名
- 百田 宗次
- 別名
- 旧号=楓花
- 学歴〔年〕
- 高小卒
- 経歴
- 早くから短歌を作り、明治44年「愛の鳥」を刊行。この頃から詩作をはじめ、45年詩歌集「夜」を刊行し、大正4年詩集「最初の一人」を刊行する。4年「表現」を創刊し、7年「民衆」を創刊。民衆派の詩人として活躍し、7年「ぬかるみの街道」を刊行。8年上京し「日本詩人」の編集にたずさわる。11年「青い翼」「風車」を刊行。のち民衆派を去り、14年「静かなる時」を刊行。15年「椎の木」を創刊主宰する。その間「何もない庭」や「随筆詩論集」を刊行。昭和7年から児童詩の指導をし、14年「綴方の世界」を刊行。他の著書に「青年詩とその批評」「辺彊人」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
百田宗治 (ももたそうじ)
生没年:1893-1955(明治26-昭和30)
詩人,児童文学者。本名宗次。大阪府生れ。少年時代に楓花という号で短歌を作り,1911年ごろから詩を書き始めた。15年に個人雑誌《表現》を発行したころから人道主義的,民主主義的傾向に移り,詩集《一人と全体》(1916)にその成果を示した。18年1月に《民衆》が創刊されてからはこれに協力して民衆詩派の一員となり,詩集《ぬかるみの街道》(1918)に民衆詩派の傾向を示したが,やがてこの派から遠ざかり,26年に《椎の木》を創刊して後進を育成した。詩風は俳句風へ,モダニズム風へと変転し,32年から児童詩指導や作文教育に携わった。《青年詩とその批評》(1943)などの随筆評論の著書もある。
執筆者:乙骨 明夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
百田宗治
ももたそうじ
(1893―1955)
詩人、児童文学者。大阪市の生まれ。本名宗次。高等小学校を卒業後、フランス語を個人的に学んだ。歌集『愛の鳥』(1911)に次いで詩歌集『夜』(1912)、詩集『最初の一人』(1915)で独自の道を示し、『ぬかるみの街道』(1918)によって自身の口語自由詩を完成、この詩集は民衆詩派の運動の頂点にたっている。当時の詩壇の大同団結の機関としての詩話会を運営したが、同会の解散とともに『椎(しい)の木』を創刊(1926)して新人を育成した。1932年(昭和7)ごろから児童自由詩や作文教育の指導にあたり、42年日本少国民文化協会の顧問となる。第二次世界大戦後は疎開先の札幌で『辺疆人(へんきょうじん)』を刊行。のち千葉県に移住。
[古川清彦]
『『日本の詩22 近代詩集(2)』(1979・集英社)』▽『『日本近代文学大系54 近代詩集(2)』(1973・角川書店)』
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百田宗治
ももたそうじ
[生]1893.1.25. 大阪
[没]1955.12.12. 千葉
詩人,児童文学者。本名,宗次。高等小学校以外学歴はなく,詩集『最初の一人』 (1915) ,『一人と全体』 (16) などや,詩話会機関誌『日本詩人』の編集 (21~22) により,民衆詩派詩人として有名になった。その後清淡温和かつ主知的な詩風に移り,1926年詩誌『椎の木』を主宰創刊して,西脇順三郎,丸山薫,伊藤整,阪本越郎,滝口武士,春山行夫らの若手俊秀を育成した。代表詩集は『静かなる時』 (25) ,『何もない庭』 (27) ,『冬花帖』 (28) ,『ぱいぷの中の家族』 (31) など。 32年頃から生活綴り方運動に呼応して『工程』を発行,児童自由詩の指導にあたるとともに,波多野完治,滑川 (なめかわ) 道夫,巽 (たつみ) 聖歌ら作文教育の指導者を育てた。
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百田宗治 ももた-そうじ
1893-1955 大正-昭和時代の詩人。
明治26年1月25日生まれ。民衆詩派のひとりで,大正7年刊の「ぬかるみの街道」が代表詩集。のち俳句風の短詩や,モダニズムの詩風に転ずる。「椎の木」を主宰して後進をそだて,後年は児童自由詩や作文の指導にあたった。昭和30年12月12日死去。62歳。大阪出身。本名は宗次。
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百田宗治【ももたそうじ】
詩人,児童文学者。本名宗次。大阪市生れ。大阪時代の1916年,民衆詩派の作風をもつ詩集《最初の一人》を出した。上京して《日本詩人》を編集,また詩誌《椎の木》を創刊した。綴方(つづりかた)教育に力を入れ,児童生活詩を提唱。詩集《何もない庭》《ぱいぷの中の家族》その他がある。
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百田 宗治 (ももた そうじ)
生年月日:1893年1月25日
大正時代;昭和時代の詩人
1955年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報