20世紀日本人名事典 「田中百畝」の解説 田中 百畝タナカ ヒャッポ 昭和期の実業家 生年明治34(1901)年12月1日 没年昭和39(1964)年2月11日 出生地広島県 旧姓(旧名)宮本 学歴〔年〕東京商科大学教員養成所〔昭和2年〕卒 経歴教員生活を経て、昭和7年京浜電気鉄道に入り、14年常務に就任。その後東京地下鉄道専務、東京急行電鉄常務、京浜百貨店取締役などを歴任。戦後、京浜急行の東急からの分離、独立の運動をし、25年京浜急行電鉄社長となる。また川崎鶴見臨港バスの買収、平和島温泉の建設など、東京、神奈川にまたがる事業網を完成させた。さらに、都営地下鉄との提携による都心乗り入れ、あるいは三浦半島の開発なども手がけた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中百畝」の解説 田中百畝 たなか-ひゃっぽ 1901-1964 昭和時代の経営者。明治34年12月1日生まれ。昭和7年京浜電気鉄道に入社。東京地下鉄道専務,東京急行電鉄専務,京浜百貨店取締役をへて,25年京浜急行電鉄社長となった。私鉄経営者協会常務理事。昭和39年2月11日死去。62歳。広島県出身。東京商大(現一橋大)卒。旧姓は宮本。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「田中百畝」の解説 田中 百畝 (たなか ひゃっぽ) 生年月日:1901年12月1日昭和時代の実業家。京浜急行電鉄社長1964年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by