神奈川県の南東部に突出した半島。東京湾と相模湾(さがみわん)とを分け、房総半島に対している。行政上は、横須賀(よこすか)、逗子(ずし)、三浦の3市と葉山町(はやままち)に分かれている。JR横須賀線、京浜急行電鉄、国道16号、134号、横浜横須賀道路、三浦縦貫道路が通り、久里浜(くりはま)と金谷(かなや)(房総半島)との間には東京湾フェリー(定期航路)がある。
全域に丘陵性の山地が広がり、長い川や広い平野はない。地質上は、房総半島と同じく新第三紀層に属し、中央の大楠山地(おおくすさんち)(大楠山は242メートル)とこれに並行する古い地塁山地と地溝(ちこう)性の谷がみられ、南の三浦市には平坦(へいたん)な海食台地が広がっている。気候は、相模湾と浦賀水道に臨む南西と南東の沿岸は夏涼冬暖の湘南(しょうなん)気候区に入れられ、東京湾岸は東京湾気候区に入れられる。
古代には、三浦半島には相模国から房総地方へ渡る幹線交通路(古東海道)が開け、中世には三浦氏の荘園(しょうえん)が開かれ、半島のほとんど全域が三浦党の勢力圏となっていた。そして幕府の所在地鎌倉の魚類供給や保養地(葉山、三崎(みさき)、横須賀など)となり、戦乱時には疎開、避難の場所にも利用されていた。江戸時代には三崎と浦賀は江戸の海の関門として重要視され、浦賀には問屋が集まって海上輸送物資の流通基地ともなっていた。浦賀、久里浜は幕末期のアメリカ使節の来航地としても知られる。明治以後、横須賀市は東京の海上防衛基地として軍港となり、第二次世界大戦中には半島全域にわたって軍の諸施設が設けられた。
現在、相模湾岸の逗子、葉山や浦賀水道沿岸は、湘南に続く休養地域、住宅地域となっている。三浦市は三崎漁港の生鮮魚貝の取引のほか、野菜や草花の早期出荷地域、住宅地域となっている。横須賀市は防衛基地となっているが、商工業都市としての発展にも力を注いでいる。近年、半島の漁業は回遊魚を多く加えており、丘陵にはハイキングコースが開けている。三浦半島では京浜巨大都市群向けのレクリエーション地域化が進められ、また、緑地が広く残り、葉山町の丘陵地や大楠山、武山(たけやま)などは首都圏近郊緑地特別保全地区に指定され、海岸の埋立ても強く抑制されている。
[浅香幸雄]
『田辺悟著『三浦半島の歴史』(1979・横須賀書籍出版)』
神奈川県の南東部に突出する半島。東は東京湾,西は相模湾,南は浦賀水道に囲まれる。南北約25km,東西はほぼ12km。半島の北限は江の島の対岸の藤沢市片瀬から,横浜市南部の円海山(153m)の北麓を結ぶ線である。半島は大部分が第三紀層を中核とする丘陵性の地形からなるが,南端部と東京湾岸東部は台地性の地形をなし,それぞれ三崎台地,上町(うわまち)台地と呼ばれる。丘陵部は南北に帯状に三分され,その境は逗子の田越川をさかのぼり,東京湾岸の長浦湾に至る線と,葉山の下山川をさかのぼり,浦賀水道に流出する平作(ひらさく)川の谷に出る線である。北帯には円海山,天台山,鷹取山などがあり,中帯には二子山,畠山,南帯に半島の最高所大楠(おおぐす)山(241m),武山,富士山がある。半島の海岸線は屈曲に富み,東京湾岸には長浦湾,横須賀湾,浦賀水道には浦賀湾があり,いずれも良港となっている。相模湾岸には北から鎌倉,逗子,葉山と続く砂浜海岸があって良好な海水浴場となり,南端の三崎台地の西岸には小網代(こあじろ),油壺,諸磯(もろいそ)の小湾入が溺れ谷の地形を示し,ヨットハーバーとなっている。浦賀水道沿岸の下浦(したうら)海岸(三浦海岸)は砂浜海岸で海水浴場である。
半島は中央の大部分を横須賀市が占め,北西部には鎌倉市,逗子市,葉山町があり,南端は三浦市となっている。古くは相模から房総半島に渡る古道が通り,古東海道の主要部で,中世,鎌倉に幕府が開かれたのもそれが一因であった。中世には半島全域に三浦氏が活躍したが,三浦氏の滅亡後は農漁村が散在するのみであった。幕末期にペリーの来航によって浦賀,久里浜が脚光を浴びた。横須賀には,幕末期に造船所が設けられ,1884年には海軍鎮守府が設置された。第2次大戦中に横須賀の軍施設は拡大され,東京湾岸の追浜(おつぱま)や浦賀水道沿岸の久里浜,相模湾岸の小田和(おだわ)湾が埋め立てられ軍施設が増設された。戦後,軍施設の一部は返還され平和利用に転換したが,なお在日アメリカ軍,自衛隊などの軍事施設が各所に散在する。
半島南端の三崎は城ヶ島が自然の防波堤となる良港で遠洋漁業基地として知られる。三崎台地は三浦ダイコンの産地として知られたが,近年はスイカ,キャベツの露地栽培,野菜,花卉の施設園芸が盛んである。半島北西部は湘南保養地帯の一環として高級住宅地が並ぶ。東海道本線大船駅から分岐する横須賀線は1889年横須賀に通じ,1944年には久里浜まで延長された。1930年浦賀まで通じた京浜急行線は戦後,三崎口までの延長や都心への乗入れにより半島一帯を首都圏の通勤圏内に入れた。そのため半島全域で住宅地化が著しく進んでいる。国道16号,134号線が半島をほぼ一周し,中央部には横浜横須賀道路が通じる。
執筆者:伊倉 退蔵
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