田丸城跡(読み)たまるじようあと

日本歴史地名大系 「田丸城跡」の解説

田丸城跡
たまるじようあと

[現在地名]玉城町田丸 城山

田辺たぬいの丘が湯田野ゆたのに西から突出してきた東端にあり、標高五一・六メートルの丘陵上にある。南縁と東縁を外城田ときだ川が流れ天然の堀をなしているが、東縁の河道は東に移されている。城跡一帯は現在城山公園となっている。県指定史跡。

田丸(玉丸)城は延元元年(一三三六)一〇月度会家行・一福大夫・雅楽入道らが北畠親房・顕信父子とともに築城したことに始まる(田中勘兵衛氏蔵文書)。翌年四月には畠山高国を将とする足利勢の攻撃を受けたが退け、七月にも再度包囲されたが加藤定有(現南島町吉津を根拠とした豪族)によって撃退した。興国三年(一三四二)八月二八日落城し(南方紀伝)、北畠氏は本拠を多気たげ(現一志郡美杉村)に移した。南北両朝合一後も北畠国司の支配下に置かれ、応永(一三九四―一四二八)頃にはその臣愛洲忠行が拠った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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