田丸(読み)たまる

百科事典マイペディア 「田丸」の意味・わかりやすい解説

田丸【たまる】

三重県玉城町の中心部にあり,手丸・玉丸とも記した。かつては伊勢度会(わたらい)郡のうち。南北朝時代に田丸城(玉丸城)が築かれて要所となり,近世には初瀬(はせ)本街道熊野街道分岐点の宿場町として栄えた。南北朝時代の《神鳳鈔》に〈外宮五斗玉丸御薗〉とみえる。田丸城は1336年度会家行らが北畠親房父子とともに築城,南朝方の拠点となったが,1342年北朝方の攻撃で落城。しかし南北朝合一後も北畠氏の南伊勢支配の拠点として家臣の愛洲(あいす)氏や庶流の田丸氏らが在城。織田信長の伊勢侵攻後は織田信雄(のぶかつ)が入り,1580年細頸(ほそくび)城(松ヶ島城,現三重県松阪市)に移るまで信雄の拠点となる。その後は復帰した田丸氏などが領し,1619年伊勢津藩藤堂氏との領地替えで紀伊和歌山藩領。田丸城には家老の久野氏が入り(実際には城代が在城),田丸領6万余石の中枢となった。城下町は東西700m×南北800mの規模。天保頃(1830年−1844年)には旅籠屋13軒,1869年には町数7,町家数230,神社・寺院各7(《田丸郷土誌》)。1889年田丸町となり,1955年からは玉城町の一部。→多気城

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「田丸」の意味・わかりやすい解説

田丸
たまる

三重県中東部、度会(わたらい)郡玉城町(たまきちょう)の中心地区。旧田丸町。1336年(延元1)北畠親房(きたばたけちかふさ)が田丸城を築き南朝の拠点となった。近世は1619年(元和5)に和歌山藩田丸領となり、家老久野氏が城主となって明治維新に至った。また伊勢(いせ)本街道の要地としても栄えた。JR参宮(さんぐう)線田丸駅がある。

[伊藤達雄]


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世界大百科事典(旧版)内の田丸の言及

【玉城[町]】より

…町域の北半は伊勢平野の南部に当たる沖積低地で,南部には丘陵地が広がる。中心集落の田丸は,南北朝期に南朝の拠点玉丸(たまる)城が築かれてから南伊勢の軍事・交通の要所として発展した。江戸時代は紀州藩田丸領に属し,初瀬(はせ)本街道と熊野街道の分岐点の宿場町としてにぎわった。…

※「田丸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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