日本歴史地名大系 「田丸城下」の解説 田丸城下たまるじようか 三重県:度会郡玉城町田丸城下[現在地名]玉城町田丸 上(かん)町・本(ほん)町・魚(うお)町・大手(おおて)町・勝田(かつた)町・板屋(いたや)町・萱(かや)町・玉城(たまぎ)ヶ丘(おか)・殿(との)町南北朝時代、田丸城を築いて南朝方が拠点として以来、南伊勢の要所となる。近世は初瀬(はせ)(伊勢)本街道と熊野街道との分岐点であり宿場町として栄えた。手丸・玉丸と記し、「五鈴遺響」によれば、天文年間(一五三二―五五)より田丸と称された。「神鳳鈔」に「外宮五斗玉丸御薗」とみえる。「外宮神領目録」には「玉丸御園五斗六月菓子九月五斗十二月菓子」と記されている。元和元年(一六一五)津藩主藤堂高虎が加増を受けた際、田丸もその領内に入った。同五年八月徳川頼宣が和歌山藩主となると、津藩領との替地が行われ、田丸は松坂・白子(しろこ)とともに和歌山藩に属し六万石の田丸領となった。頼宣の家老久野宗成が一万石の城主となり、残り五万石は代官支配地となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by