朝日日本歴史人物事典 「田付景澄」の解説
田付景澄
生年:弘治2(1556)
江戸前期の砲術家。田付流砲術の創始者。通称は兵庫助,宗鉄と号した。近江国田付村(滋賀県彦根市田附町)の出身で,父美作守景定が織田信長によって自害させられたため,摂津国三田に住み砲術を修めた。当時は稲富一夢(祐直),安見右近と並んで鉄砲の三名人と噂が高かったという。慶長18(1613)年徳川家康に召し出され土井利勝に属して大坂城の砲撃に参加した。子孫は幕末に至るまで相次いで鉄砲方を勤めた。<著作>『求中集』2巻,『後求中集』5巻
(所荘吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報