田内千鶴子(読み)タノウチ チヅコ

20世紀日本人名事典 「田内千鶴子」の解説

田内 千鶴子
タノウチ チヅコ

昭和期の社会事業家 元・共生園園長。 韓国孤児の母。



生年
大正1(1912)年

没年
昭和43(1968)年

出身地
高知県高知市

主な受賞名〔年〕
韓国文化勲章国民章,世界福祉賞(韓国・大邱大学)〔昭和62年〕

経歴
7歳の時日本統治下の旧朝鮮・全羅南道木浦に渡る。両親とともに何不自由なく暮らしていたが、23歳の時、孤児収容施設・共生園を創設して孤軍奮闘してきたキリスト教伝道師尹致浩と結婚。朝鮮戦争時、夫が食糧調達に出かけたまま行方不明となり、以後43年に死去するまで共生園を維持し、延べ3000人の孤児を育てた。その長年の功績が認められ、日本人としてはじめて韓国文化勲章国民章を贈られる。昭和59年4月共生園を引きついだ息子が母の生涯をつづった「母よ、そして我が子らへ」を出版。平成7年その著書原作に、木浦の孤児院・共生園を舞台にした日韓合作映画「愛の黙示録」が制作され、話題に。11年8月台風により甚大な被害を受けた共生園の援助のため、東京・荒川区の職員らにより募金活動が行われた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田内千鶴子」の解説

田内千鶴子 たうち-ちずこ

1912-1968 昭和時代の社会事業家。
大正元年10月30日生まれ。朝鮮総督府官吏の父にしたがい,7歳のとき家族とともに木浦にわたる。孤児養育施設の木浦共生園で奉仕活動をはじめ,1938年園長の尹致浩(ユン-チホ)と結婚。朝鮮戦争の混乱で夫をうしなったのちも同園をまもる。「韓国孤児の母」としたわれ,1963年韓国文化勲章。昭和43年10月30日死去。56歳。約3万人があつまり市民葬がおこなわれた。高知県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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