死別、遺棄などによって両親を失った身寄りのない子供を収容し保育する社会事業施設。救育所ともいった。孤児院という名称は、1929年(昭和4)公布の救護法で初めて公用語となった。しかし、このことばは、その内容をあまりにも露骨に表し、差別感をも招いた。そのため、47年(昭和22)公布の児童福祉法で養護施設という名称に変わった。また、97年(平成9)の児童福祉法第五〇次改正により、養護施設は児童養護施設と改称された。
日本における児童救済施設は明治10年代以降つくられ始め、1890年(明治23)の日本資本主義最初の経済恐慌、91年の濃尾(のうび)地震による孤児・棄児の大量発生を直接的契機に、より基本的には日本資本主義の成立に伴う下層社会の形成に対応するものであった。児童救済施設は、民間団体のおもに宗教団体、とくにキリスト教的背景をもつものが多い。なかでも石井十次(じゅうじ)によって1887年に設立された岡山孤児院は、施設名に孤児院ということばを最初に使った、明治年間最大の孤児院であった。
国際的には、石井にも影響を与えたイギリスのバーナードThomas John Barnardo(1845―1905)によって1870年に設立されたバーナード・ホームが有名である。バーナード・ホームは、従来の大収容施設にかわり、一般家庭の住居規模に近い建物で、夫婦者の保父・保母を中心に少人数の子供が一般家庭のような日常生活を送る小舎制を採用し、職業教育、アフター・ケアなどを行い、児童収容施設の近代化に貢献した。
[横山和彦]
『更井良夫著『石井十次と岡山孤児院』第2版(1995・石井十次先生銅像再建委員会)』
孤児を収容し保護する施設。現在,日本の法律上は児童養護施設と呼ばれている(児童福祉法41条)。ヨーロッパでは孤児の保護は宗教や私的慈善の立場から,教会やギルドなどによって古い時代から行われていた。イギリスの場合,両親の死亡その他の理由で扶養されなくなった乳幼児は,教区によって養育された。16世紀末期以後,イギリスのロンドン,ブリストル,シュルーズベリーの都市では孤児院が設けられたこともある。また,ドイツのハレにA.H.フランケが1698年に開設した孤児院や,スイスのシュタンツにあった18世紀末のJ.H.ペスタロッチの孤児院などの例がある。しかし,これらの都市の特例を除けば,乳幼児は里子に出されたり,教区の貧民院で他の貧民といっしょに養育された。
一般に貧民を範疇別に区分収容し,処遇するのは近代的発想である。孤児にしても幼児になれば,当然労働力の担い手としての役割が要求された。イギリスの場合,病人,老人,狂人とともに,孤児は労役場に収容されたが,労役場マニュファクチュアで働いたのはこれら児童であった。さらに18世紀末には,3歳から5歳程度の貧困児童は煙突掃除や綿工場への教区徒弟として使役された。孤児院は児童福祉全体の発展なくしては,独自の社会的施設たりえなかったのである。イギリスで孤児や乳幼児保護が本格化するのは1908年の児童法制定以後であり,社会事業としての孤児院の歴史はそれほど古いものではない。
→慈善事業 →児童福祉施設 →捨子
執筆者:小山 路男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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