田原園村(読み)たわらぞのむら

日本歴史地名大系 「田原園村」の解説

田原園村
たわらぞのむら

[現在地名]千歳村前田まえだ 尾崎おさき大下おおした真萱まかや徳尾とくお

倉波くらなみ村の北、山の東麓にあり、東は大木おおぎ村。正保郷帳には井田いだ郷の田原園村がみえ、田高九三石余・畑高六四石余、茅山有と注記される。元文三年(一七三八)正月臼杵藩三重みえ鷲谷わしだに村内並石なめし(現三重町)の村民四軒・四五人が当村へ逃散、役人の説得によって帰村した(古史捷)。安永七年(一七七八)には原田組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。村内には文政四年(一八二一)以前から松・杉・檜・櫟などの岡藩御立山が置かれ、伐採は藩横目をはじめ小庄屋・村横目・山廻など在中役人の立会のもとに行われた。松・杉は文政四年などに三佐みさ(現大分市)に送られて船材となり、また天保四年(一八三三)には江戸屋敷の普請材にも用いられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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