田島直之(読み)たじま・なおゆき

朝日日本歴史人物事典 「田島直之」の解説

田島直之

没年:明治20.11(1887)
生年:文政3(1820)
江戸末期から明治中期にかけての林業家。通称与次衛門,号は愛林。岩国藩士田島直澄の長男。弘化4(1847)年に周防国玖珂郡田尻村の藩有林の建山総締となり,植林と柴草採取に工夫を加えて成果をあげた。以後,桑の増殖養蚕奨励を行って産業振興をはかり,元治1(1864)年に紙倉頭人となった。幕長戦争(長州征討)後,豊後国(大分県)木浦山で鉱山業を学び,岩国領内の鉱山を開発した。著書に『山林助農説』『稲田増獲説』などがある。山林・養蚕・紙・鉱山など殖産興業で大きな功績を残したが,その中心は林業であった。<参考文献>『岩国市史

(小川国治)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田島直之」の解説

田島直之 たじま-なおゆき

1820-1888 幕末-明治時代の林業家。
文政3年生まれ。周防(すおう)(山口県)岩国藩士。山林取締として植林を奨励,また養蚕をひろめる。幕長戦争後は領内の鉱山の開発にあたった。明治21年11月死去。69歳。通称は与次左衛門。号は愛林。

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