日本歴史地名大系 「田御厨」の解説
田御厨
ひえだのみくりや
近世の稗田村(明治九年に豊田村と改称)を遺称地とし、矢板市東南端の
承久二年(一二二〇)一二月に藤原朝高・頼長により稗田と「盞堵村」および佐久山が権禰宜度会常生に寄進された。藤原朝高は那須与一宗高の兄弟稗田九郎幹(朝)隆と考えられる。翌三年一一月に下野国司庁宣(避状)が下され、国役・鹿島清祓使等雑事以下日光宇都宮免田などが停止された。同四年三月には後任国司も庁宣で再び認めている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報