田渋荘(読み)たしぶのしょう

百科事典マイペディア 「田渋荘」の意味・わかりやすい解説

田渋荘【たしぶのしょう】

豊後国国東(くにさき)郡の荘園。現大分県豊後高田市南東部,国東半島中央に聳える両子山(ふたごやま)の西斜面から桂川中流左岸にかけた地域に比定される。宇佐神宮領で,本家摂関家領家は宇佐宮大宮司家。本郷40町・吉丸名20町・糸永名30町からなり,吉丸名・糸永名は律令制下の田渋郷縁辺に成立した別名(べつみょう)。荘内は名(みょう)(名・名田)体制が取られ,南北朝初期ごろまでに23の名が確認され,その後二次的な名も派生していく。鎌倉末期から武士侵略が顕著になって押妨押領が続き,室町期には守護大友氏支配に組み込まれていった。

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