日本歴史地名大系 「田老村」の解説 田老村たろうむら 岩手県:下閉伊郡田老町田老村[現在地名]田老町 川向(かわむかい)・向山(むかいやま)・西向山(にしむかいやま)・樫内(かしない)・古田(ふるた)・小田代(こだしろ)・辰(たつ)の口(くち)・篠倉(しのくら)・笹見平(ささみたいら)・向桑畑(むかいくわはた)・上小田代(かみこだしろ)・養呂地(ようろち)・末前沢(すえまえざわ)・和蒔(わまき)・八幡水神(やはたすいじん)・小林(こばやし)・田中(たなか)・田(た)の沢(さわ)・館(たて)が森(もり)田老川の下流域にあって、東は海、西は末前村、西から南は田代(たしろ)村・崎山(さきやま)村(現宮古市)、北は接待(せつたい)村。古くは多老と記した。永正五年(一五〇八)の糠部郡九箇部他馬焼印図(古今要覧稿)にみえる「たちう」は当地のことか。浜街道が通る。「三閉伊路程記」に「田老、家百拾軒、田老は乙部と続、町屋作にてよき村也、西は山つゞき、東は二百間ばかり畑、或は川原也、町裏に金毘羅の社あり、町中程に堰あり、御高札場あり」とある。田老浦に面して、田老川の河口には早くから漁業を主とする集落が発達していた。慶安二年(一六四九)には与板船積物改目録が提出されており、承応元年(一六五二)には江戸で昆布・魚類を売った「多老浦舟役」が三両二歩の運上金を納めており、すでに江戸時代初期、田老商人によって江戸交易が行われていたことが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by