町堰跡
まちぜきあと
八戸城下を流下する用水堰。白山川(沢里川)上流の根城村の笹子の北より取水し、城下に引水された。総延長約一〇キロ。城下では上組町の西側を通って新荒町に至り、荒町・廿三日町・十三日町・三日町・八日町・十八日町を経て、廿八日町で北側の低地に排水された。排水口をドド場と通称する。
御勘定所日記の元禄六年(一六九三)六月一日条に「町堰二日斗水御通し被下度由」とある。開削の年代は不明であるが、盛岡藩時代の町づくりの際に開削されたものとみられる。八戸藩時代に入って部分的な拡幅修築が行われているが、文政一二年(一八二九)の大火後には表町通の片側にさらに用水堰を通して、両側に引水された(柏崎記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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