町堰跡(読み)まちぜきあと

日本歴史地名大系 「町堰跡」の解説

町堰跡
まちぜきあと

八戸城下を流下する用水堰。白山はくさん(沢里川)上流根城ねじよう村の笹子ささこの北より取水し、城下に引水された。総延長約一〇キロ。城下では上組かみくみ町の西側を通って新荒しんあら町に至り、荒町・廿三日にじゆうさんにち町・十三日じゆうさんにち町・三日みつか町・八日ようか町・十八日じゆうはちにち町を経て、廿八日にじゆうはちにち町で北側の低地に排水された。排水口をドド場と通称する。

御勘定所日記の元禄六年(一六九三)六月一日条に「町堰二日斗水御通し被下度由」とある。開削の年代は不明であるが、盛岡藩時代の町づくりの際に開削されたものとみられる。八戸藩時代に入って部分的な拡幅修築が行われているが、文政一二年(一八二九)の大火後には表町通の片側にさらに用水堰を通して、両側に引水された(柏崎記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む