日本歴史地名大系 「町平河町五丁目」の解説 町平河町五丁目こうじまちひらかわちようごちようめ 東京都:千代田区旧麹町区地区町平河町五丁目[現在地名]千代田区平河町(ひらかわちよう)二丁目明治五年(一八七二)麹町谷(こうじまちたに)町飛地の一部と貝坂(かいさか)通の東側および駒井(こまい)小路北側の武家地を合併して起立。東は隼(はやぶさ)町、西は麹町平河町六丁目、南は永田(ながた)町一丁目、北は麹町平河町四丁目。貝坂は町の西側にあり、永田町一丁目との境を上る東西の通りが駒井小路とよばれた。旗本駒井氏の屋敷があったことによる(麹街略誌稿)。明暦の大火直後の様子を描いた明暦江戸大絵図によれば旗本屋敷・普動院があり、武家地・寺社地として使用されていた。延宝江戸方角安見図では越後高田藩松平家上屋敷および旗本屋敷がある。天和二年(一六八二)高田藩主松平光長の改易に伴ってその上屋敷は収公、地割替えが行われて、豊後府内藩松平(大給)家の上屋敷と旗本屋敷となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by