畑屋敷町
はたやしきちよう
[現在地名]和歌山市畑屋敷〈榎丁・円福院西ノ丁・円福院東ノ丁・雁木丁・葛屋丁・新道丁・千体仏丁・中ノ丁・西ノ丁・端ノ丁・東ノ丁・兵庫ノ丁・袋町・松ヶ枝丁〉
鈴丸町・新八百屋町・新大工町の東に位置し、北は和歌川上流の鈴丸川(大門川)、東は吉田村。新町地区の北部に位置する当地付近は、もと中野島村であったが、徳川氏入部以後の町割で城下に組入れられた。在中作方諸事覚書(土屋家蔵)によれば享保一一年(一七二六)には畑屋敷一四四石余が町方支配下にあり、範囲は「南ハ円福院丁筋北側より北之分、東ハ屋敷裏道限リ、北ハ鈴丸橋筋川限、西ハ新町並裏水道限リ」である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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