畑銅山(読み)はたどうざん

日本歴史地名大系 「畑銅山」の解説

畑銅山
はたどうざん

現方城町伊方の広谷いかたのひろたにを中心とした銅山。りゆうはなという山の斜面に存在する銅・硫化鉄鉱鉱山で、下段から大切おおぎり・中段ちゆうだん本坑ほんこうという近代の坑口(マブ)跡が残る。銅山としての開発は小倉藩の細川時代にさかのぼる。「田川郡誌」によると、弁城の字金山町かなやままちに製錬場跡と従業者の霊を祀った貞享五年(一六八八)銘をもつ観音堂台座碑文があった。同碑文にみえる願主は柿波治郎兵衛で、柿波氏は毛利長門守の家臣であったが、当地にきて鉱山業を始めたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む