畑銅山
はたどうざん
現方城町伊方の広谷を中心とした銅山。竜ヶ鼻という山の斜面に存在する銅・硫化鉄鉱の鉱山で、下段から大切り・中段・本坑という近代の坑口(マブ)跡が残る。銅山としての開発は小倉藩の細川時代にさかのぼる。「田川郡誌」によると、弁城の字金山町に製錬場跡と従業者の霊を祀った貞享五年(一六八八)銘をもつ観音堂台座碑文があった。同碑文にみえる願主は柿波治郎兵衛で、柿波氏は毛利長門守の家臣であったが、当地にきて鉱山業を始めたという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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