留ヶ谷村(読み)とめがやむら

日本歴史地名大系 「留ヶ谷村」の解説

留ヶ谷村
とめがやむら

[現在地名]多賀城市留ヶ谷・留ヶ谷一―三丁目・伝上山(でんじようやま)一―四丁目・中央(ちゆうおう)一―三丁目など

高崎(たかさき)村の東に位置し、北方塩竈から張出す丘陵上に立地。東部を野田玉(のだのたま)川が流れ、土橋思惑(おもわく)(面和久)橋が架かっていた。正保郷帳によると田一七貫五五九文・畑三貫三九三文、ほかに新田一貫二八文、水損・旱損と注されている。「安永風土記」では田二〇貫三八八文・畑三貫八七四文、うち蔵入地五貫九二文、ほかは給所。人頭二七人、家数三〇(うち名子三)、男九九・女八七、馬二四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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