デジタル大辞泉
「瑞巌寺」の意味・読み・例文・類語
ずいがん‐じ【瑞巌寺】
宮城県宮城郡松島町にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は青竜山。承和5年(838)天台宗の円仁の創建で、延福寺と称したが、鎌倉時代に臨済宗となり円福寺と改めた。のち、伊達政宗が再興し、瑞巌円福寺とした。本堂・庫裏などは桃山式建築として知られ、ともに国宝。松島寺。
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瑞巌寺
ずいがんじ
[現在地名]松島町松島 町内
松島の一角に建つ。老杉に囲まれた本堂の前方約三〇〇メートルは波打際である。正式名称を松島青龍山瑞巌円福禅寺といい、臨済宗妙心寺派。本尊聖観音。開基は伊達政宗。瑞巌寺はその前身を青龍山延福寺といい、のち円福寺と改称、さらに政宗による復興後瑞巌寺となった。
〔円福寺時代〕
前掲「天台由緒記」によれば執権五代北条時頼は宝治二年(一二四八)諸国行脚の途次松島に立寄り、折からの鎮守山王社祭礼の邪魔をし、怒った衆徒に危うく殺害されそうになったが、祭礼の日に殺生は不可という計らいでようやく助かって岩窟に逃込み、面壁中の法心性西(法身性才とも)と邂逅した。鎌倉に戻った時頼は三浦義成に一千の兵を授けて天台衆徒を追払い、住持儀仁を佐渡に流し、新たに円福寺を開き、岩窟から法心を捜し出して開山に据えたという。寺を追われた天台衆徒は福浦島に立籠り、壇を築いて時頼を呪詛し、そのために時頼は弘長三年(一二六三)に没したと伝えている。
一方観応元年(一三五〇)一一月日の円福寺雑掌景
言上状案(寺蔵文書)には「右当寺者、去建長年中、為最明寺入道外護之檀那、成将軍家御祈願寺以降、(中略)当国第一之禅院也」とある。
瑞巌寺
ずいがんじ
[現在地名]徳島市東山手町三丁目
眉山東麓にある。鳳翔山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は釈迦如来。創建の時期は不明だが、天正一三年(一五八五)の蜂須賀家政阿波入部までは勝瑞城下(現藍住町)にあった。阿州三好記大状前書および阿州三好記並寺立屋敷割次第(徴古雑抄)によると、三好氏から寺領一三貫文を与えられ、寺屋敷は九反、六間に一五間の方丈、五間に九間の庫裏、三間に八間の下坊主部屋などのほか鐘撞堂・土蔵・座敷・表門・裏門の堂宇があり、達磨大師を本尊としたという。三好氏の没落後は荒廃したとみられる。
縁起によると、甲斐国恵林寺(現山梨県塩山市)の快川紹喜の弟子一鶚が、織田信長による天正一〇年の同寺焼討のとき快川から観音像と渡唐天神の二体を託されて同寺を逃れ、諸国遍歴の後、江戸で蜂須賀至鎮の帰依を受け、至鎮の弟義英の菩提を弔うために徳島城下に同行し当寺を再興したという。
瑞巌寺
ずいがんじ
[現在地名]揖斐川町瑞岩寺
瑞岩寺集落の西、沼にある臨済宗妙心寺派寺院。土岐氏の菩提寺として知られる。天平年間(七二九―七四九)行基が当地に来て地蔵菩薩を彫造、小堂を建てて安置したのに始まると伝える。「土岐累代記」などによれば、守護土岐頼康が父頼清の菩提寺として延元元年(一三三六)に再建した。開山の海弾は応安五年(一三七二)当寺において没している(「五山歴代」国会図書館蔵)。境内には海弾の四弟子のため栗棘庵・多福庵・雄心庵・退耕庵を建立したという。文和二年(一三五三)後光厳院は南朝方の入京を避けて小島城(現春日村)の土岐氏を頼り、小島頓宮に入った。その後を追った二条良基は「小島のくちすさみ」に「今夜は瑞岩寺とかや云寺尋出てとゝまる」と記している。
瑞巌寺
ずいがんじ
[現在地名]亀岡市
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田野町奥条
かつて奥条の北の山上にあって、峰続きで鹿谷村の千手寺に通じていたが、昭和三五年(一九六〇)に山麓集落内の現在地に移転した。山号は竜峰山、臨済宗東福寺派、本尊は十一面観音。
寺伝および「本朝高僧伝」、「桑下漫録」所引の「盥魚」などによれば、享徳元年(一四五二)大通が伊勢朝熊山虚空蔵菩薩のお告げにより丹州に来り、当寺を創建した。大通は足利義尚の帰依を受け、一時、鎌倉五山の一である浄妙寺に転住したが再び帰山し、長享三年(一四八九)当寺に石龕を設け没した。その後、僧文虎の時、明智光秀が丹波を領し、当寺本堂を破壊し亀山城築城の用に供したという。
瑞巌寺
ずいがんじ
[現在地名]松阪市岩内町
妙法山深蓮社と号し、浄土宗。本尊は断崖に彫られた石観音。当寺庭園は県指定名勝。開基は空海と伝えられる。寛政年間(一七八九―一八〇一)法誉門超により再興され、庭園が形づくられたとされる。境内東に文化一〇年(一八一三)の建立といわれる三重の塔があり福万虚空蔵菩薩を安置。本尊石観音は「五鈴遺響」に「山腹ニ巨石ノ面ニ観世音菩薩ノ像ヲ彫鐫セリ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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瑞巌寺 (ずいがんじ)
宮城県宮城郡松島町にある臨済宗妙心寺派の寺。正称は青竜山瑞巌円福禅寺。838年(承和5)開創と伝える。開山は円仁。初め天台宗で青竜山延福寺と称したというが,その後鎌倉時代に北条時頼の手により臨済宗に改宗した。1605年(慶長10)伊達政宗が堂宇造営に着手,09年本堂が完成した。江戸時代には仙台藩主伊達氏の菩提寺として栄えた。1789年(寛政1)の《妙心寺派下寺院帳》によれば,塔頭(たつちゆう)22ヵ寺,末寺50ヵ寺をかかえる大寺で,寺領は約750石であった。
執筆者:圭室 文雄 本堂(1609,国宝)はもと方丈建築で,桁行13間,梁間右側面9間,左側面8間,6室からなる大規模な建築で,上段の間には床,棚,帳台構(ちようだいがまえ)をおき,上々段には違棚と付書院を設け,豪華な桃山様式を示す。庫裏(くり)(1609,国宝)は切妻造妻入りで,正面の柱,束(つか),白壁の構成と上部の唐草彫刻で装飾した笈形(おいがた)が美しい。入口の土間上部は天井をはらず,雄大な小屋組みをあらわす。他に日本三景の一つ松島を臨む位置に五大堂(1604,重要文化財)が建つ。
執筆者:谷 直樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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瑞巌寺
ずいがんじ
宮城県宮城郡松島町松島字町内にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の寺。青龍山(せいりゅうざん)と号し、円福(えんぷく)寺とも松島寺ともよばれるが、正式には青龍山瑞巌円福禅寺(えんぷくぜんじ)という。本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)。伊達(だて)家代々の菩提寺(ぼだいじ)として栄えた。838年(承和5)(一説には承和2年=835、寺伝では天長5年=828)天台宗の慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)の開創と伝えられ、もとは延福寺(えんぷくじ)と称した。鎌倉時代に執権北条時頼(ときより)が堂宇を復興し、性才法身(しょうさいほっしん)(法心)を開山として円福寺と改め、鎌倉建長寺・円覚寺末の臨済宗寺院となった。応仁(おうにん)期(1467~69)以後、堂宇は荒廃したが、慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に伊達政宗(まさむね)が復興し、瑞巌円福禅寺と改称。政宗の遺志を継いだ2代忠宗(ただむね)が妙心寺から雲居希膺(うんごきよう)を迎え、中興第1世となってから瑞巌寺の道風は広く知られるようになり、全国から臨済の雲水が集まる禅の大刹(たいさつ)となった。現在の本堂(元方丈)、書院、玄関、庫裏(くり)などは1609年(慶長14)政宗が建造したもの。なかでも本堂は豪壮、華麗な桃山式建築で、庫裏・廊下とともに国宝に指定されている。御成門(おなりもん)、中門、五大堂などは国重要文化財。境内には法身が籠(こも)っていたという法身窟(くつ)、政宗が朝鮮から持ち帰ったという紅梅・白梅などがある。
[菅沼 晃]
『『探訪日本の古寺Ⅰ 東北・北海道』(1981・小学館)』
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瑞巌寺【ずいがんじ】
宮城県松島町にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は青竜山。本尊聖観音。初め延福寺・円福寺と号した。838年(一説に828年)円仁が天台宗の寺として開基し,鎌倉時代に禅寺に改まり,のち伊達家の菩提寺として栄えた。国宝の大方丈(本堂),庫裏(くり),書院などは伊達政宗が1609年に建造したもの。ことに大方丈はすぐれた桃山建築。
→関連項目松島|松島[町]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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瑞巌寺
ずいがんじ
宮城県松島町にある臨済宗の寺。山号は青竜山。天長5 (828) 年頃円仁が創建し,延福寺と称したと伝えられる。鎌倉時代に法身性才により禅寺となり,円福寺と改め諸山に列したが荒廃。慶長9 (1604) ~14年に伊達政宗が再興し,瑞巌寺と改称した。本堂,庫裏などは豪華な桃山様式を示し,国宝。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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瑞巌(ずいがん)寺
宮城県宮城郡松島町にある寺院。838年(寺伝では828年)創建。臨済宗妙心寺派。本尊は聖観世音。本堂、庫裡などは国宝に指定。伊達政宗の菩提寺として知られ、宝物館には伊達家歴代藩主画像などの文化財を保管する。
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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