日本歴史地名大系 「畠原下崎庄」の解説 畠原下崎庄はたばるしもさきのしよう 福岡県:行橋市畠原下崎庄平尾(ひらお)台の南東麓、山崎(やまさき)川(長峡川支流)流域に所在した宇佐宮弥勒寺領庄園。現大字下崎を含む一帯に比定される。建久八年(一一九七)の豊前国図田帳断簡(到津文書/鎌倉遺文二)に宇佐宮弥勒寺領として「畠原庄十五丁」がみえる。ほぼ同時期と推定される弥勒寺喜多院所領注進状(石清水文書/大日本古文書四―二)によると、畠原庄は庄田八町・名田八町で構成されていた。弥勒寺領は本家である山城石清水(いわしみず)八幡宮社務坊の善法寺家に相伝されており、同庄も同様であった。元応元年(一三一九)八月日の弥勒寺権別当方祗候人数等定書(同文書/鎌倉遺文三五)に畠原下崎庄がみえ、善法寺尚清の子の通清が管領していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by