20世紀日本人名事典 「番匠義彰」の解説
番匠 義彰
バンショウ ヨシアキ
昭和期の映画監督
- 生年
- 大正11(1922)年5月13日
- 没年
- 平成4(1992)年4月12日
- 出生地
- 東京
- 学歴〔年〕
- 早稲田大学文学部英文科〔昭和20年〕卒
- 経歴
- 昭和18年大学在学中に松竹大船撮影所に助監督として入社。主に中村登に師事し大船調の映画作法を身につけた。30年「かりそめの唇」で監督デビュー。代表作は32年松竹のシネマスコープ第一号「抱かれた花嫁」。以後「空かける花嫁」「ふりむいた花嫁」など“花嫁もの”は興業的にもヒットする。喜劇を得意としたがメロドラマでも水準を保ち大船のプログラム・ピクチャーのエースであった。40年の「ウナ・セラ・ディ東京」を最後に松竹を退社。フリーとなってテレビ映画に専念する。主な作品に映画「ここに幸あり・前後篇」「三羽烏再会す」(31年)「クレージーの花嫁と七人の仲間」(37年)「太陽を抱く女」(39年)、テレビ「青い山脈」(42年)「大いなる旅路」(46年、以上日テレ)「白い滑走路」(49年、TBS)など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報