青い山脈(読み)アオイサンミャク

デジタル大辞泉 「青い山脈」の意味・読み・例文・類語

あおいさんみゃく〔あをいサンミヤク〕【青い山脈】

石坂洋次郎の小説。昭和22年(1947)発表。第二次大戦後まもない地方の町を舞台に、高校生らの男女交際などを通して解放された青春の姿を明るくユーモラスに描く。
歌謡曲。昭和24年(1949)発表。西条八十作詞、服部良一作曲。発表当初は藤山一郎奈良光枝によって、続いて昭和38年(1963)、神戸一郎、青山和子によって歌われた。
今井正監督・脚色による映画の題名。昭和24年(1949)公開。出演、原節子、龍崎一郎、池部良ほか。第4回毎日映画コンクール撮影賞受賞。
松林宗恵監督による映画の題名。昭和32年(1957)公開。「新子の巻」「雪子の巻」の2本立て。出演、雪村いづみ、司葉子ほか。
西河克己監督による映画の題名。昭和38年(1963)公開。出演、吉永小百合、浜田光夫ほか。
河崎義祐監督による映画の題名。昭和50年(1975)公開。出演、三浦友和、片平なぎさほか。
[補説]はいずれもを原作とした作品。主題歌として発表されたもの。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「青い山脈」の意味・わかりやすい解説

青い山脈
あおいさんみゃく

石坂洋次郎の長編小説。1947年(昭和22)6~10月『朝日新聞』に連載され、同年12月新潮社より刊行。地方の高等女学校の女学生寺沢新子、高校生金谷六助、女教師島崎雪子、医師沼田玉雄らをめぐって、男女交際、女権拡張など、戦後新旧思想の対立を主題に、きたるべき民主的な生活のあり方をユーモラスに追求した作品。戦後まもなくの、暗く、ややもすれば退廃的になりがちな当時の人々に一服の清涼剤、あるいは民主主義の教科書として受け止められた。1949年今井正(ただし)監督、池部良(いけべりょう)(1918―2010)・杉葉子(すぎようこ)(1928―2019)主演で初めて映画化され、記録的な観客数を動員し、石坂文学=青春物の印象を強烈にした。

[森 英一]

映画

日本映画。1949年(昭和24)東宝作品。今井正監督。「朝日新聞」に連載された石坂洋次郎の小説を、東宝から独立した藤本真澄(ふじもとさねずみ)(1910―1979)が製作、戦後の自由と明るさを象徴する大ヒット作になる。ある地方の町、女学生の寺沢新子(杉葉子)は、駅前で店番をしていた金谷六助(池部良)と知り合う。英語教師の島崎雪子(原節子)は新子宛のラブレターを見せられ、校医の沼田(龍崎一郎(りゅうざきいちろう)、1912―1988)に相談する。ついに学校ではこの問題に対処するために理事会が開かれることになる。封建的な学校や理事会に対して、雪子や沼田らが男女交際の自由を訴え、新しい民主主義的な価値観を顕揚する。脚本の井出俊郎(いでとしろう)(1910―1988)は本作がデビュー作、以後の再映画化もこの脚色をもとにしている。1957年に松林宗恵(まつばやししゅうえ)(1920―2009)、1963年に西河克己(にしかわかつみ)(1918―2010)、1975年に河崎義祐(かわさきよしすけ)(1936― )、1988年に斎藤耕一(さいとうこういち)(1929―2009)で再映画化され、西条八十(さいじょうやそ)作詞、服部良一(はっとりりょういち)作曲の主題歌も親しまれている。前後編に分けて公開。キネマ旬報ベスト・テン第2位。

[坂尻昌平]

『『青い山脈』(新潮文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「青い山脈」の意味・わかりやすい解説

青い山脈 (あおいさんみゃく)

石坂洋次郎(1900-86)の長編小説。戦後最初の新聞連載小説で,1947年(昭和22),《朝日新聞》に連載,同年,新潮社刊。この作家の昭和10年前後の代表作《若い人》を戦後に移した趣向の旧制高等女学校を舞台とした青春小説。複雑な家庭に育った勝気な美しい娘・新子がラブレターを送られたことに端を発した学園騒動を描く。因襲にとらわれた校内の封建的な雰囲気に果敢に取り組む青春像がユーモアをまじえて写し出され,新子を助ける英語教師の島崎雪子も一つの戦後像とみられる。作者の女学校教員であった体験が生かされ,明るい小説を目ざす姿勢もうかがわれる。この作の成功により作者は“百万人の作家”への道を開いたともいわれる。
執筆者:

今井正監督が〈健康で明るい青春映画仕立て〉(岩崎昶)で1949年に映画化。〈大胆な〉海水浴シーンにおける新子役の新人杉葉子と,新しい思想の持主である島崎雪子役の原節子の毅然(きぜん)とした美しさが,戦後の〈民主主義映画〉の中でも際だった解放感を与えて大ヒット(配収1億2000万円)。挿入曲《恋のアマリリス》や,女学生たちが自転車に乗ってさわやかに走るシーンに流れる同名主題歌も(今井正監督はこの主題歌を毛ぎらいしていたといわれるが)大流行した。東宝争議で中断していた映画化を自分のプロダクションで完成させた藤本真澄は,この成功で東宝の〈青春映画路線〉を確立。なお,その後この原作は東宝(1957),日活(1963),東宝(1975)で3度映画化されている。
執筆者:

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デジタル大辞泉プラス 「青い山脈」の解説

青い山脈

①石坂洋次郎の小説。1947年発表。第二次大戦後まもない地方の町を舞台に、高校生らの男女交際などを通して解放された青春の姿を明るくユーモラスに描く。
②1949年公開の日本映画。①を最初に映画化したもの。監督・脚色:今井正、脚色:小国英雄、撮影:中井朝一、音楽:服部良一。出演:原節子、龍崎一郎、池部良、杉葉子、若山セツ子、木暮実千代、赤木蘭子ほか。第4回毎日映画コンクール撮影賞、女優演技賞(原節子)、助演賞(木暮実千代)受賞。
③日本のポピュラー音楽。作詞:西条八十、作曲:服部良一。②の主題歌として発表。以後映像化の度に主題歌となり、多くの歌手がカバーしている。
④1957年公開の日本映画。①の2度目の映画化作品。監督:松林宗恵、脚色:井手俊郎、撮影:小原譲治、音楽:服部良一。出演:雪村いづみ、久保明、司葉子、宝田明、太刀川洋一、笹るみ子、淡路恵子ほか。
⑤1963年公開の日本映画。①の3度目の映画化作品。監督・脚色:西河克己、脚色:井手俊郎。出演:吉永小百合、浜田光夫、高橋英樹、田代みどり、芦川いづみ、二谷英明、南田洋子ほか。
⑥1975年公開の日本映画。①の4度目の映画化作品。監督:河崎義祐、脚本:井手俊郎、剣持亘。出演:三浦友和、片平なぎさ、村野武範、中野良子、星由里子、田中健、木村理恵ほか。

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世界大百科事典(旧版)内の青い山脈の言及

【青春映画】より

…青春=スポーツというこの概念はハヤブサ・ヒデト監督・主演のオートバイ活劇《青春恋愛街》(1937),フランスのスキー映画《青春乱舞》(1938)などをへて,夏の甲子園の高校野球をとらえた市川崑監督の記録映画《青春》(1968)に至るまで続き,今なお変わらず存続している。 青春映画という呼称が一般的に使われはじめるのは戦後になってからで,《青い山脈》(1949)をはじめとする〈石坂洋次郎物〉を中心に打ち出された東宝青春映画路線以来のことで,《青い山脈》が当時〈健康な作品〉と評されたように,ここにも〈明朗青春編〉のイメージが受け継がれる。そして戦前の〈あかるい蒲田映画〉,鈴木伝明主演の〈スポーツ映画〉を受け継いで《若大将》シリーズがつくられるといったぐあいに,青春映画はもっぱらその〈明るさ〉を売りものにしてきたが,他方では,小津安二郎監督《青春の夢いづこ》(1932)からドイツ映画《青春》(1941公開)をへて黒沢明監督《わが青春に悔なし》(1946)に至る青春の挫折を描いた〈暗い〉青春映画の流れもあり,また日本最初の〈接吻映画〉として知られる佐々木康監督,大坂志郎,幾野道子主演の《はたちの青春》(1946)の題名にこめられた青春=性の解放のイメージは,1950年代に入って高校生の〈桃色遊戯〉を描いた〈性典映画〉(《十代の性典》1953)や学生の乱行を描いた〈太陽族映画〉(《太陽の季節》1956)をへて青春映画のもう一つのシンボルと化し,フランスの〈ヌーベル・バーグ〉に次ぐ〈松竹ヌーベル・バーグ〉の大島渚監督《青春残酷物語》(1960)に至って,屈折した青春のイメージが〈明朗青春編〉の概念を覆すことになる。…

※「青い山脈」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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