番所山(読み)ばんるくるやま

日本歴史地名大系 「番所山」の解説

番所山
ばんるくるやま

[現在地名]座間味村座間味

座間味島のほぼ中央部に位置する。標高一四三・五メートル。琉球王府時代には烽火台が設置されていた。「球陽」尚賢王四年(一六四四)条に同年初めて烽火を各所に設けたとあるが、崇禎六年(一六三三)尚豊王冊封のため来琉した胡靖は姑米山(久米山)馬歯山ばしざんで「烽」により中山に報じたと記録しており(「杜天使冊封琉球真記奇観」那覇市史)、施設の程度は未詳ながらすでに烽火による船の連絡網があった。番所山の頂上には南北一列に三炬の烽火台が設置され、貢船帰還が一隻のときは一炬、二隻の場合は二炬、異国船の際は三炬の烽火が焼かれた(「球陽」尚賢王四年条)。烽火は久米島より渡名喜となき間切・座間味じやまん間切・渡嘉敷とうかしち間切・めー島、沖縄島の小禄うるく間切の順で上げられ、首里王府へと伝えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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