座間味村(読み)ざまみそん

日本歴史地名大系 「座間味村」の解説

座間味村
ざまみそん

面積:一六・七四平方キロ

那覇市から西四〇キロに位置する大小二〇余の島嶼群からなる。座間味島・阿嘉あか島・慶留間ぎるま島の有人島のほかに、久場くぼー島・屋嘉比やかん島・安室あむる島・外地ふかじ島・安慶名敷あぎなしく島・嘉比がひ島などの無人島がある。沖縄島から見て渡嘉敷とかしき島の後ろにあることから、後慶良間くしぎらまともいわれる。当村への交通は那覇港とまり埠頭を出るフェリーで約二時間、高速艇では約一時間、那覇空港を発する小型飛行機(九人乗り)を利用すると外地島にある慶良間空港まで約一五分。空港からは車で橋を渡って慶留間島阿嘉島に入り、阿嘉港からボートで座間味島へ渡島。座間味島に県道座間味港線が通る。村域は沖縄海岸国定公園のうちで、座間味海中公園などがある。座間味島東部に古座間味ふるざまみ貝塚、阿嘉島にウタハ貝塚がある。近世は座間味じやまん間切は渡嘉敷とうかしち間切とともに慶良間島を構成し、久米方に属した。沖縄島に近く、入組んだ地形が良港として用いられ、貢船・冊封船の潮繋(風待ち)湊となり、また多くの船乗りを輩出した。明治一二年(一八七九)廃藩置県に伴い沖縄県の管轄となる。一八九六年沖縄県郡区制施行により成立した島尻郡に所属。一九〇八年の沖縄県及島嶼町村制施行により座間味村が成立、それまでの座間味・阿佐あさ阿真あま・阿嘉・慶留間の諸村が字となった。一九〇一年に創業した鰹漁業は大成功をおさめ、渡嘉敷島はもとより県内各地に普及、ケラマ節(鰹節)は村財政を潤した。大正末期まで村の多くの家庭では糸満売と同様に沖縄島から慶良間売(キラマウイ)されてきた男児を下男として雇っていたという。昭和初期の恐慌で操業不振に見舞われ、多くの男たちが南洋諸島(トラック諸島・パラオ諸島など)へ漁船とともに移住、その後女たちも鰹節削り工として出稼したため、一時期は村の三分の一の人口が流出した。


座間味村
じやまんむら

[現在地名]座間味村座間味ざまみ

座間味島の南部に位置する。集落は番所ばんるくる山・高月たかつき山を背に南に大きく開く入江に面して形成される。方音ではジャマン座間味じやまん間切の行政の中心地。山中で最も高い番所山には琉球王府時代に烽火台が設置されていた。北西部のうち川を源流域とする水路が集落の中央を横切って入江に注ぐ。この水路山手側をウチンダカリ(内村渠)、湾側をハマンダカリ(浜村渠)と称した。村の主だった拝所や古井戸・旧家などの配置からかつて島の東部の古座間味んじやまんにあった集落がウチンダカリに移転してきたと伝える。「琉球国由来記」にみえる祭祀はなか御嶽(神名ヨキゲライ)うふ御嶽(神名ミウキヤサ)御嶽(神名アフエキヨ)赤崎あかさち御嶽(神名ヨキナワ)、シラシ御嶽(神名マシラジ)屋嘉比やかん御嶽(神名クセツキヨ)および仏峰ふとうきぬめー御イベノ前(神名は未詳)など。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「座間味村」の意味・わかりやすい解説

座間味〔村〕
ざまみ

沖縄県那覇市から西方約 40kmの海上に浮かぶ慶良間諸島にある村。村名は主島名による。座間味島阿嘉島,久場島,屋嘉比島,慶留間島,外地島,安室島などの後慶良間と呼ばれる約 20の島々からなるが,座間味島,阿嘉島,慶留間島以外は無人島。砂地で水利が悪く,農業には不適なため漁業が行なわれ,かつては県内随一のカツオ漁を誇ったが,近年従事者は少ない。ダイビングなどを目的に訪れる観光客が多くなり,民宿などが増えている。座間味島は前慶良間の渡嘉敷島とともに第2次世界大戦末期,沖縄島よりも前にアメリカ軍の攻撃を受け,多くの島民集団自決した(→沖縄の戦い)。屋嘉比島と慶留間島の一部は国の天然記念物ケラマジカおよびその生息地として知られる。慶良間諸島国立公園に属し,慶良間諸島海域公園地区に指定。那覇市との間に航空便と船便がある。面積 16.74km2。人口 892(2020)。

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