発志院村(読み)はしのいんむら

日本歴史地名大系 「発志院村」の解説

発志院村
はしのいんむら

[現在地名]大和郡山市発志院(はつしいん)町

中城(なかんじよう)村の東に所在。環濠集落。承徳二年(一〇九八)一二月の僧快智田地売券(角田文衛氏蔵文書)には「所領田壱段事 三条四坊坪南辺者此坪内中弐段源太郎売渡了者、発志院肥前君御手自限直伍地所買得也」と記す。また建永二年(一二〇七)の大和一品位田田数注文(東大寺文書)には「橋院庄一丁」とみえる。

慶長郷帳には「橋院村」とみえ、元和郷帳には「はしのいん」と記す。村高五六三・九二石。文禄検地の奉行は増田長盛。田畠居屋敷合計三八町五段八畝二八歩(五六三・九二石)。近世を通じ興福寺領。明治初期、元春日新神司領と称した頃の村明細帳によると、家数三五、人口一六九(男九三、女七六)、牛一二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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